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前ページ次ページ谷まゼロ ルイズは、谷を呼びたしたことに心底がっかりしていた。 呼び出した使い魔が、幻獣や動物であれば、主人の身を守ったり、 秘薬などの素材を主人のために見つけてきたりすることが出来、ルイズを大いに満足させたであろう。 しかし、自分が呼び出したのは人間で、魔法が使えないただの平民。 使い魔にとって一番重要である『主人の身を守る』ということすら出来ないように見えた。 加えて、『コントラクト・サーヴァント』が出来ていないとなれば、落胆もひとしおである。 そして今、『主人を身を守る』ことが使命であるはずの使い魔は、 その主人に対し、拳を振り上げていた。 「え?」 間の抜けた声を上げたルイズ。 しかし、この状況が理解できないほど頭が回らなかったわけではなかった。 目の前の使い魔は自分を殴り飛ばそうとしているのだった。 ルイズは慌てて頭を下げた。その僅か上を谷が振りぬいた拳が通り抜ける。 標的に当たらなかった拳は、窓ガラスを盛大な音をたてながら叩き割った。 ルイズが信じられないものを目の当たりにしたかのように、驚きの声を上げた。 「ちょっと何よ!?貴族に!使い魔が主人に!手を上げるなんて信じらんない! どうなるかわかってんの!?なんとか言いなさいよ!」 だが、その言葉が無意味であることにルイズは気がついた。 谷の耳には何も届いていない。今もルイズを殴り飛ばすことだけに意識を集中させている。 異様なまでの殺気を発しながら。 ルイズは喉をならして唾を飲み込んだ。 自分の主人に手をあげる使い魔なんてルイズは聞いたことがない。 取りみだしながらも、ルイズは谷から逃れるためにベッドどから降りた。 谷がおもむろに歩いてそれを追う。 壁を背にしたルイズは逃げ場を失っていた。その時杖をもっていなかったし、抵抗する術は持ち合わせていなかった。 ルイズは竦み上がりそうになりがらも、心を奮い立たせ、谷に言った。 「わたしが何をしたっていうのよ!?」 ルイズが何をしたか。そして、なぜ谷は怒っているのか。 それらの答えはすべて、ルイズが『島さん』をバカにしたことに帰結する。 谷にとって『島さん』はかけがえのない存在である。 谷は幼い頃より自分の意思で仮面をつけていた。谷が居た世界でも、日常生活で仮面をつけるということは、異端であった。 だから、彼は周りの人間からは奇異の目で見られ、変人扱いされてきた。 本人はそのことに関して毛ほども気にはしていなかったが、そんな状態でまともな人間関係など築けるはずはなかった。 だが、それはある意味本人が望んだことであるようであった。谷は望んで他人との間に壁を作っているのだった。 人は、誰しもが人に恋い焦がれる時がある。 ある者は、幼稚園の保母さんが初恋の相手かもしれない。 ある者は、近所の幼馴染が相手かもしれない。 だが、谷は『島さん』と出会うまで、他人に恋をするどころか、信じられる人すらいなかった。 そんな谷が初めて他人である『島さん』を好きになったのだ。 広い世界で『唯一』好きな、大好きなヒト。それが谷にとっての『島さん』であった。 その『島さん』をルイズにバカにされたのだ。 谷には許すことができなかった。 谷は、自分の怒りを買うものに対して、容赦という言葉を持たない。 年端もいかない子供に対しても、大人げない態度で虐げることができるし、 大勢の不良であろうと、短刀を持ったヤクザであろうと、たとえ女であろうと、 その拳をもってして殴り飛ばすことになんの迷いもない。 ルイズもまた、谷が容赦すべき相手と認識するわけがなかった。 谷は再び拳に力を込めた。 「てめェ!よくも島さんを!!ゆるさん!」 「シマ、シ、シ、シマサン!?」 再びルイズに対して拳が振るわれた。 その動作自体は比較的遅く、ルイズでも間一髪避けることができた。 だが、ルイズは避けたあとに起きた出来事に驚愕した。 谷が放った拳は空を切り、そして壁にぶち当たった。 普通なら、石造りで出来た壁なんかを素手で思いっきり殴ろうものなら拳のほうが壊れてしまう。 しかし、谷は違った。 ルイズの耳に轟音が響いた。 恐る恐る谷がいる方を見てみると、衝撃の光景が目の前に展開されていた。 谷が素手のパンチで壁をぶち破ったのだ。 谷の、馬鹿が二回付いても足りないぐらいの馬鹿力が可能にさせる破壊力であった。 壁は破片となり粉々に砕かれ、人一人が余裕で通れるほどの巨大な穴が出来ていた。 「ちょ、ちょっとなんなの!?戦争でも始まったの!?」 そう叫んだのは、先ほどまで就寝中であった、ルイズの隣の部屋の女性であった。 名をキュルケ。ルイズのヴァリエール家と宿命関係にあるツェルプスト―家の者である。 ルイズとは同じ学年の生徒ではあるが、家同士の因縁があるためか、いつもいがみ合っている関係である。 しかし、今のルイズは混乱していた。 誰でもいいから、助けが欲しかった。なぜなら自分の使い魔が間違いなく自分に敵意を向けているのだから。 そして、ルイズ自身には、この状況をどうにかする術がなかった。 ルイズは、谷が作った壁の大穴から、キュルケの部屋に飛び込んだ。 そして、キュルケが寝転がっているベッドに飛び乗った。 「ちょ、ちょっと何をやってるのよあなた!ここが誰の部屋かわかって?ルイズ。 っていうか、なんで人の部屋の壁を壊してるのよ!」 「わたしの部屋の壁でもあるわよ!!ちょ、ちょっと助けなさいよ」 「助けるってあたしが?ヴァリエール家のあなたを、このツェルプストー家のあたしが?冗談言わないで」 「この状況で冗談なんて言えるわけないでしょ!!?あの壁見たでしょ!?」 「あの壁がどうしたのよ?どうせあなたが魔法を失敗してぶち壊したんでしょ!?」 ルイズは歯ぎしりをし、じれったそうに叫んだ。 「っ違うわよ!!そんなことできるわけないじゃない!わたしの使い魔が素手でぶち破ったのよっ!!」 信じらんない、あり得る筈がない、といった風に目を見開き驚きを隠せないキュルケが言った。 「あの平民の使い魔が!?それこそ冗談でしょ!? 素手で学院の壁が壊せるわけないでしょう!?っていうかアレ……」 キュルケが、そしてルイズが息をのんだ。 そこには壁の穴を通り抜け、ルイズたちに視線を向けている不気味な白い仮面の男がいた。 心情を表わす顔を隠し、余計に恐怖をかきたてるのに一役買っている仮面が目に付いた。 それを見ると、先ほどの谷とルイズのやり取りを知らないキュルケも理解できた。 その目の前に立つ男が、明らかにルイズに敵意を抱いていることを、そして自分も巻き込まれていることを。 「ふ、フレイム!!!」 キュルケは思わず自分の使い魔の名を呼んだ。 部屋の隅の闇からのっそりと、虎ほどの大きさの真っ赤なトカゲが現れた。 尻尾が、燃え盛る炎でできていた。チロチロと口から火がほとばしっている。 このフレイムという使い魔は、谷と同様、使い魔召喚の儀式で呼ばれた生物であった。 サラマンダーのフレイムは主人であるキュルケの身の危険を察知した。 そして、その原因であると思われる谷の前にその大きな体を盾にし立ちはだかった。 フレイムの口にから、熱気が溢れ出す。 炎を吐いて谷を追い払うつもりであった。 だが、それは成功しなかった。 「邪魔だ、このトカゲめ!!!」 「きゅおっ!!?」 谷は、片手でフレイムの頭を鷲掴みにし、そのまま上に蹴り飛ばした。 天井にフレイムが激突し、部屋が僅かに揺れる。 パラパラと天井の破片が落ちてくるが、肝心のフレイム自身が落ちてこない。 フレイムは完全に天井に埋まってしまい落ちてこないのだった。 普通の人間ならば、フレイムを持ち上げることすら出来ないであろう。 谷がしたことは、まさに異常であった。 「う、嘘でしょ。あたしの自慢の使い魔が……」 頭の中が絶望に溺れたキュルケも、ルイズの使い魔の異常性に気がついた。 そして何でこんな理不尽なことに巻き込まれているのかと、憤りを感じていた。 キュルケは、ルイズの服をとっ掴んで問い詰めた。 「なんなのよこれ!?あんなのに殴られでもしたら、頭にコブどころじゃ済まないわよ! あなた自分の使い魔に何をしたの!?何をどうしたらあんなに怒らせられるのよ!?」 「そんなのわたしだって知らないわよっ!……あっ、もしかしてシマサンっていう女をわたしが悪く言ったから?」 「誰よ!?そのシマサンっていうの!?」 「タニが好きな女の名前よ!」 「なに?好きな女をバカにされたから怒ってるの!?……それなら」 キュルケとルイズは顔を見合わせた。 そして、無言で二人は一つの答えに縋りついた。谷に聞こえないように、こそこそと話した 「なら、今度は褒めるのよ!褒めて褒めまくって褒めちぎるのよそのシマサンっていう人を! そのシマサンっていうのはどんな人物なの!?」 「な、名前しか知らないわよ!」 「ちょっと何よそれ!あの男殴ろうと拳を振り上げてるわよ!あたし死にたくないわ! なんでもいいから褒めるのよ!!!」 「そんな!どうやって言えばいいのよ!わからないわ!!」 キュルケはチッと舌打ちをした。 そして、拳を振り上げている谷に向って愛想のよい笑顔で言った。 「あ、あなたタニっていうのかしら?ルイズと違って、あたしはそのシマサンを素敵な女性だと思ってるわよ?」 知りもしない女性を褒めることは滑稽としか言いようがなかった。 ルイズはこんなことで谷が止まるはずがないと、どこか確信めいたものを抱いていた。 だが、物事は二人の予想を反した。 谷の振り上げた拳が、ピタリとその動きを止めたのだ。 しめた! キュルケは赤く燃えるような髪をかきあげながら、一気に責め立てるように言った。 「もうシマサンったら、このあたしでさえ、一目置いちゃうほどの美人じゃない? そんなシマサンが想い人なんて、もうタニったら隅に置けないわね。ねえルイズ?」 突然話を振られて、慌てふためきながらもルイズは相槌を打った。 「え!?……え?……え、ええ!そうねっ!わたしもシマサンは素晴らしいと思うわ!!」 ルイズもキュルケも必死であった。 「そうよ、あの艶やかに煌めく長くて綺麗な髪なんて最高よねっ!ね、ルイズ?」 髪がショートだったらどうするのよキュルケ!とルイズは心の中で責めた。 「そ、そうね!それに、スタイルも出るところは出て引っ込むところは引っ込んでて抜群よねっ!ね、キュルケ?」 何よ、もしもあなたみたいに貧相な体つきだったらどうするのよルイズ!とキュルケは心の中で責めた。 っていうか、またあたしに振るんじゃないわよルイズ!! まるで、導火線に火がついた爆弾の押し付け合いをしているような有様であった。 完全に想像による島さんを称賛する言葉。 そんなもので谷が、どうにかなるかどうかは二人はわからなかった。 生きた心地がしない二人は谷の反応を待った。 谷はしばらく無言で固まっていたが、ふと呟いた。 「それは嘘だろ」 やっぱりダメだった! やはり、こんな嘘が通じる筈がなかったのだと二人は後悔した。 そしてキュルケが悪あがきをする様に、取り繕った。 「ルイズが言ってたのよ!タニがシマサンことを語っているの聞いてると、 シマサンがどんな女性か容易に想像できるって!それはタニの想いの強さがそうさせるんじゃない? そんなに想われてるなんてシマサンが羨ましいわ!凄いわシマサン!ねえルイズ!?」 「え!?……え、ええ!!」 完全に詭弁であった。 タニのこともシマサンのことも全く知らない。その上での発言であるから出鱈目もいいところである。 しかし、思いもよらぬことが起きた。 谷が頭をかいて、まるで照れているかのような素振りをして言ったのだ。 「そっ、そうか!?そうだろ!?しっ、島さんは、凄いイイんだ!運動神経もいいんだぜ!」 まるで自分の父親はパイロットなんだと自慢する子供のようだった。 仮面で表情はまったくわからないが、今さっきまでの怒りようはどこにやらといった感じで、 本当にうれしそうに喋っていた。 心の底から『シマサン』という人間が好きなのだと、ルイズとキュルケは理解できた。 危険から逃れられたのがわかったせいか、つい興味本位でキュルケは谷に聞いてしまった。 「……そのシマサンってタニの恋人なの?」 「こいびっ……!」 恋人という単語を聞くと、物凄い勢いで後ずさり、 壁の方が壊れるのではないかと思ってしまうほど、 谷は、背中から壁に激突した。壁にはヒビが入っていた。 そして、部屋の中央に戻ってきた谷が慌てふためいた様子で言った。 「いっいや、違うんだけどさ。へへっ。それに、ま、まだ告白もしてないんだよ」 谷は委縮しきっていた。 そんな姿を口をポカンとさせ見ていたルイズは、谷のポケットから一枚の紙がヒラリと落ちたのに気づいた。 ルイズは、そのことに気が付いていない谷に先んじて、その紙を拾い上げた。 それは島さんが写っている写真であった。ハルケギニアには写真は存在しない、 だからルイズにはそれが、精巧な絵に見えた。 「なによ、この絵。いや、これ絵なの?まるで鏡に映った像みたいに鮮明……。 っていうか、この絵の女の人がもしかしてシマサンってっていうヒト?」 キュルケはルイズが手に持っている写真を横から覗き込んで言った。 「あら、確かに美人ではあるわね、こうなんか抱擁力がある優しさと、リンとして引かない強い部分をもってそうな……」 なに適当なことを言ってるのか、とルイズは心の中でキュルケを責めた。 せっかく谷の怒りがおさまったのに、下手に何か言って逆戻りになったらどうするのかと。 突然キュルケに向ってビシリと指をさして、谷は力強く叫んだ。 「そう!そのとおりだ!!」 キュルケの適当な言葉に谷は同意した。 「ど、同意するわけ……?」 思わずズッコケそうになるほど、ルイズは呆れてしまった。 「……」 「……」 「写真返せ」 谷は、乱暴にルイズの手から写真をひったくった。 そして、大切なものなのか、折り目が付かないように細心の注意を払いながらポケットの中に写真をしまった。 谷は頭をガリガリと掻いた。 今度は、ルイズに対してではなく、現状について苛立ちを感じていた。 天井に向って谷は叫んだ。 「夢にしちゃ長すぎるぞ!しかも面白くねェ!オレだって暇じゃねェんだぞ!……島さんにも会えねェし。 ……っさっさと夢から醒めろオレ!……っこうなったら逆に夢の中で寝てやるからな!」 谷は寝ている間に、夢から醒め現実に戻るんじゃないかと考えた。 ズカズカと足音をたてながら、自分が開けた穴からルイズの部屋に戻っていった。 「……夢ってなによ?ルイズ」 当然の疑問であった。ルイズはキュルケの疑問に答えた。 「タニはここを自分の夢の世界だと思ってるのよ。でも、ここが現実だったら別の世界だとか言ってたから、 ハルケギニアのことなんて知らないとこから来たっぽいことはなんとなくわかるんだけど……」 キュルケは、谷の心情が少し読めた。読めたからこそ嫌な予感がしていた。 「それって不味いんじゃないかしら」 「は?どこらへんが?」 「……多分、タニは薄々っていうかほとんど気づいてるけど認めたくないのよ。 ここが現実だとしたら、シマサンに二度と会えないかもしれないんだからねえ」 ルイズはハッとした。その通りかもしれないとも思った。 そしてルイズにも何が問題かわかった。 使い魔は呼び出す魔法はあっても、送り返す魔法なんてものは存在しない。 何故なら呼び出された使い魔は、その生涯をその主人と共にすることが大前提だからである。 そして谷も、どうにかできるならば、ルイズがとうに送り返すか何かしているはずということも、 ルイズの態度から薄々読み取っているのかも知れなかった。 だから、谷にとってここは夢の世界でなければならないのだった。 もし、その谷がここを現実としっかり認識して、愛しの『シマサン』と会えないとわかったならば……。 ルイズとキュルケはゾッとした。 キュルケは片手を上げて、にこやかに言った。 「じゃ、あたしは寝るから。もうあたしを巻き込んじゃダメよ?」 「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!!わたしどうすればいいのよ!?」 キュルケはタヌキ寝入りを決め込んでいた。 ルイズは頭を抱えて、ブルブルと震えていた。 「……っ!ど、どどどど、どうしよう。なんなのよあの使い魔っ!」 ルイズは得体のしれない仮面をつけた使い魔に振り回されっぱなしであった。 明日以降のことを考えると不安を感じずにはいられないルイズであった。 前ページ次ページ谷まゼロ
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前ページ次ページときめき☆ぜろのけ女学園 ――ポッポー、ポッポー、ポッポー…… 時刻は午前7時30分。ハト時計のハトがけたたましく鳴き声を上げた。 「うー、あっつーい……」 「とろけるううう」 夏真っ盛りで冷房の無い寮、ルイズ・ペロ共にだらけきって……いやとろけきっていた。 ペロの舌もだらしなく伸びてルイズの胸の上に乗っている。 「ちょっとペロ、この熱い舌のけてよ!」 「暑いとベロ出る」 「犬じゃないんだから……っていうか、舐めてるでしょー!!」 「きろへいきろへい(気のせい気のせい)」 口ではそう言いつつもしっかりペロはルイズの汗を舐めていた。 その時、 ――ガ……、ガガ…… スピーカーから雑音が流れたかと思うと、 『皆さん、おはようございます。今日は海開きの日です。各自水着を持って登校してください』 アナウンスが聞こえてきた。 「海開き!!」 「へえ、もののけも海水浴するのね」 「海開き!!」 アナウンスを聞いたペロは慌てて窓の方に駆け寄った。 「ペロ?」 「何? 何? どうしたの、ペロ?」 「しっ、海が開く!!」 「え?」 ペロ同様窓の外の海に視線を向けたルイズの見たものは……、 ――ゴゴゴゴ…… 突然海中に開いた穴に海水が落ち込み、 ――ゴオオオ…… 突然現れた崖の上から水が滝となって落ちてくる光景だった。 「す……ごい! 何これーっ!?」 「海開き!!」 「海開きの日は冬の海の水と夏の海の水が入れ替わるんだよ」 そこにやってきたキリがルイズにこの現象について説明する。 「あっ、キリ! 凄い凄い凄い!」 「海開き、海開き」 「でも冬の海と一緒に吸い込まれたらどうなるのかしら?」 「吸い込まれても冬になったら戻ってこれるから大丈夫だよ」 「えーっ、それあんまり大丈夫じゃないわよー!」 「あ、終わったね。ほら、夏の海だよ」 海水交換現象が治まった後には入道雲の空と常夏の海が広がっていた。 「も……、もののけの世界、すごーっ!!」 「あっ、ルイズ、そろそろ支度して行かないと遅刻しちゃう」 「いけない、ろくろ首先生に怒られるっ!」 「待って待って、私水着なんて持ってないわよ」 「んー、私の貸してあげたいけど、しっぽの穴が開いてるんだよね……」 「それはちょっと……」 それにはルイズも流石に赤面して断る。 「んー、あたしの貸してあげたいけど、ルイズの乳が小さすぎるんだな……」 「なっ……、大丈夫よ着れるわよ貸してよっ!!」 「ペロの子供の時のだったら大丈夫よ」 「わーっ、キリまで!?」 海岸には多種多様な妖怪の生徒達が集まって、思い思いに楽しんでいた。 「うわあ~、もののけのグラビアアイドル大集合って感じね」 「よし、ルイズっ、今だ! ポロリ! ポロリ!!」 「嫌よ!」 「ルイズー、こっちこっち」 「わーい、キリー」 手を振るキリにやはり手を振って返したルイズだったが……。 「………!!」 「ちょっ、ルイズ、出てる出てる!」 「えっ、何!! あっ、もしかして恥ずかしい毛!? やだーっ!」 「……そうじゃなくて、おへそ……!」 「へ……?」 「あああああっ!!」 解説しよう! もののけには生まれつきおへそが無いので、もののけのふりをしているルイズはおへそを隠さなくてはいけないのだ!! 「どどどどどど、どうしようっ!? そうよ、これ引っ張ったら隠れるかも!?」 そう言うとルイズはおもむろに水着の下部分を引っ張り上げ始める。 「え? ルイズ?」 「ふぬぬぬ……」 「ちょっ、ルイズ?」 「ぬぬぬぬぬーん」 「待って待って!」 キリの静止も聞かずルイズは水着を引っ張り続け……、 ――ブッチーン! 『あ』 ……水着の下半分を引きちぎってしまった。 「いやあああ!」 「あああああ」 絶叫するルイズを慌てて止めたキリだったが時既に遅く、 「どうしたの、大丈夫?」 「何かあったー?」 絶叫を聞きつけた2人の生徒達がルイズの方に来てしまった。 その気配を察したキリはルイズに、 「ルイズ」 「わっ、キリ、何……っ?」 「大丈夫ー、何でもないよ」 そう言いつつ2人の前に姿を見せたキリは股間を2本のしっぽで隠していた。 「ならいいけど……ってちょっとキリ! あんた水着の下は!?」 「あははは、忘れてきちゃった」 「えー、馬鹿じゃん! タオル貸そっか?」 そのキリの水着の下は、3人の様子を岩陰から覗いていたルイズの下半身に収まっていた。 (キリ……、あたしのために……) そこに2人をやり過ごしたキリが戻ってくる。 「ルイズ、もう行ったよ。危なかったね」 「キリ、ごめんなさいっ! あたしのせいで! これ返すから!」 「いいからいいから。そのまま穿いてて。私はルイズの可愛いお尻誰にも見せたくないの」 「……キリ……」 キリの優しい言葉に赤面するルイズだったが、ペロの指摘が雰囲気をぶち壊す。 「尻は隠せてもへそ丸出しだけど」 「……あ」 「ああっ!」 しかし2人に根本的な問題が何も解決していない事に気付かせたわけで、 「そうよ、これ引っ張ったら隠れるかも!」 「え? ルイズ?」 「ふぬぬぬぬーんっ!」 「待って待って待って!」 ルイズが同じ過ちを繰り返そうとしている事に気付いたキリが止めるものの……、 ――ブッチーン! 『あ』 ……再び水着の下半分を引きちぎってしまった。 zro orz orz 「そうだ、ルイズ! 貝の水着がいいと思う!」 「凄いじゃない、ペロ! 名案だわ!」 (私は不安……) ペロの突拍子も無い意見にルイズは賛同したが、キリはあさっての方向を向いていた。 「ルイズ、いい貝発見!」 「グッジョブ、ペロ!」 ペロが差し出したサザエの水着を着たルイズだったが、アレな部分こそ隠せているものの肝心のへそが露出したままだった。 「うーん、ちょっと貝が小さかったか……。こっちにしよう」 そう言ってペロが差し出した貝は大きくそり返った太い物で、どう考えてもルイズ達には無い物を収納するのに向いている形状だった。 「いや、大きさじゃなくて種類違うじゃないっ! っていうかそれ貝じゃないし! 角だし!」 ルイズは水着に適した貝を求め海岸を走る。 「もう! 貝の水着って言ったら普通は……」 そこで1つの巨大二枚貝に目を向ける。 「こういう貝で……」 「ヴィーナス!」 開けた貝の上に立ちワカメで下腹部を隠しつつ絶叫するルイズ。 「ルイズ、それ水着じゃない」 「えっ、だってこんな貝あったらやるでしょ、ヴィーナス」 そしてそんな2人の様子を聞きつけた生徒達がそちらに向かい、 「ヴィーナス!」 「ヴィーナス!」 とルイズを真似て大騒ぎしている生徒達を尻目に、 「……タオル取ってこよ」 とそそくさその場を後にするキリであった。 前ページ次ページときめき☆ぜろのけ女学園
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前ページ次ページゼロと世界の破壊者 第4話「ルイズの闇」 ルイズと士が教室に入ると、先にそこに居た生徒達が一斉に二人の方を向き、そしてくすくすと笑い始めた。 「あいつら、何がおかしいんだ?」 「自分の胸に手を当てて考えてなさい」 その一言で士は自分が笑われてる事は判った。だが、自分の何がおかしいのかは見当もつかなかった。 教室には既にキュルケもおり、周りを複数の男子達に取り囲まれてまるで女王の様に祭り上げられていた。 キュルケも二人に気が付くと、そっちに軽く手を振った。 「友達か?」 「あいつの事は気にしなくていいの」 ルイズはキュルケの事を無視して教室の中を進んだ。 士は教室の入り口から教室全体をとりあえず一枚、カメラに収める。 教室の生徒達は皆、様々な使い魔を連れていた。フクロウにカラスに猫、普通の動物に紛れて宙に浮かぶ目玉やら蛸人魚やら見た事も無い生物もいた。更に教室の外には教室に入れない程大きな蛇やら竜やらもいる。 (なるほど、俺はあいつらと同じ扱いと言うわけか…) 様々な種類の使い魔がそこにはいたが、果たして士と同じく人間を使い魔とした者はその場にはいなかった。 本来はハルケギニアの生物や幻獣を使い魔とすると昨日聞いた。すなわち使い魔=獣。喩えるなら龍騎の世界のライダーとミラーモンスターの関係に近いかもしれない。 そう考えると士が笑われるのも無理もない気がする。 「何ボーッと突っ立ってんのよ?とっとと歩きなさい」 先に行ったルイズに促され、士はその後を追った。 ルイズは教室の後ろの端、努めてあまり目立たない席に腰掛けた。士も倣ってその隣に座った。 「ここはメイジの席よ、使い魔は床」 「貴族様ってのはどうにも器量が小さいらしいな」 士はカメラで教室の至る所を写しながらそう言い放った。 ルイズは眉を顰めたが、それ以降何も言わなかった。 始業の鐘が鳴り、教室の扉が開いて教師と思しき中年のふくよかな女性が入って来た。女性は教室の中央、最下段に設置された教卓の場所で立ち止まる。 教師の女性が入ってくるや生徒達の談笑が止み、教室がにわかに静まる。 「あれが教師か」 士は教卓の前に立った女性を一枚カメラに収めた。 「授業中あんまりカシャカシャやんないでよ」 念のためルイズは釘を刺しておく。下手に動かれて授業妨害されたりしたら怒られるのは主人であるルイズである。 教師の女性は教室の真ん中から生徒達を見回すと、満足そうに微笑んで言った。 「皆さん、春の使い魔召喚は大成功のようですわね。このシュヴルーズ、こうやって春の新学期に様々な使い魔達を見るのがとても楽しみなのですよ」 ルイズが俯く。 「おやおや。そう言えば随分と変わった…使い魔を召喚したのでしたね、ミス・ヴァリエール」 途中の『…』は、ルイズが召喚したのが士だけでなく写真館も一緒にだと知っていたからであろう。シエスタが言うに既にルイズが家を召喚したと言う事は学院中に知れ渡っているらしい。 すると教室中がどっと笑いに包まれた。 「ゼロのルイズ!平民の家を召喚しただなんて一体どういう失敗の仕方だよ!」 肩にフクロウを乗せた小太りの男子生徒がルイズに侮辱の言葉を浴びせる。 ルイズはがたりと椅子を鳴らしてその場に立ち上がった。 「私だって好きで喚び出したワケじゃないわよ!勝手に出て気ちゃんたんだから!」 「それにしたって家ごと召喚なんて常識はずれにも程があるよ!」 「さすがゼロのルイズ!俺達に出来ない失敗を平然とやってのけるッ!」 「そこにシビれる!あこがれるゥ!」 教室中から次々と合いの手が入り、教室は爆笑の渦に包まれた。ルイズは怒りで肩をブルブルと震えさせていた。 するとルイズを侮辱した生徒達の口に、突然現れた赤土の粘土がぴたっと張り付いた。業を煮やしたシュヴルーズが魔法で無理矢理彼らの口を塞いだのだ。 「皆さん、お友達を侮辱してはいけませんよ?」 シュヴルーズにそう言われ、笑っていた生徒達も自ら口を噤んだ。ルイズも怒りの捌け口を見つけられないまま、仕方なく着席し直した。 士はその間、ずっと写真を撮り続けていた。 「変な所ばっか撮らないでよ!」 ルイズはそんな士を小突いたが、直ぐさまシュヴルーズの注意が飛んで来たためそれ以上何も言えなかった。 その後すぐに授業は始まった。 授業の内容は『土』系統の魔法に関する講義で、自分の操る『土』系統の魔法がどれだけ生活に役立たされているかと言う半ば自慢話のような内容をシュヴルーズは延々と繰り返した。なので『土』系統ではない生徒達には退屈極まりの無い内容の授業であった。 それでもルイズはシュヴルーズの話をしっかり聞き、一心不乱にメモを取り続けた。 士はその間ずっと教室の様子をカメラに収めていたが、ルイズはそんな士の事などまったく気に留める事なく授業に集中していた。 そんなルイズの様子に、士は素直に感心してその横顔をカメラに収めた。 授業の途中、シュヴルーズが教卓の上に置いた小石に向かって杖を振り上げ、ルーンを呟いた。すると石が光だし、それが収まると石はピカピカの金属の塊になっていた。『錬金』の魔法によってただの石ころを真鍮へと変えたのだ。 これには士も思わず顔を上げた。 「このように『錬金』の魔法で様々な生活で必要な物質を生み出す事が出来ます。今から皆さんにはこの『錬金』の魔法を覚えてもらいます。では試しに誰かに実演してもらいましょう」 そう言ってシュヴルーズはぐるりと教室を見回した。そしてずっと集中して授業を受けていたルイズに目が止まった。 「それでは、ミス・ヴァリエールにやってもらいましょうか」 シュヴルーズがそう言った瞬間、突然教室の空気が変わった。 にわかに生徒達がざわつき出す。不安や恐れの感情が渦巻き、彼らの中で1年前の悪夢が蘇っていた。 「先生、止めておいた方が良いと思います」 徐にキュルケが手を挙げてシュヴルーズに進言した。 「何故ですか?」 「危険です」 聞き返すシュヴルーズに対してキュルケきっぱりと言った。他の生徒達が「うんうん」とそれに同調して頷く。 「ミセス・シュヴルーズはルイズを教えるのは初めてですよね?」 「えぇ、ですがミス・ヴァリエールが努力家だと言う事は聞いてます。現に先程も私の話を集中して聞いてましたよ」 するとキュルケは今度はルイズの方を向いた。 「ルイズ、お願いやめて」 蒼白な顔で嘆願する。 士には何故そこまでルイズの魔法を恐れるのか判らなかったが、こうまで言われたルイズが大人しく引き下がるわけが無いであろうと事は理解出来た。 「やります」 案の定、ルイズは立ち上がって、生徒達の静止も聞かずシュヴルーズの待つ教卓の前まで歩いて行った。シュヴルーズはにっこりと笑ってルイズを迎える。 すると、士の前に座っていた生徒がいきなり机の陰に隠れた。周りを見渡してみると、他の生徒達も皆机の陰に隠れている。 士は周囲の生徒達の行動を不振に思いつつも、教卓の前に並び立つルイズとシュヴルーズの姿をカメラに収めていた。 そして士がカメラのレンズから目を離した瞬間。 ルイズが魔法をかけた小石が突然爆発した。 爆風でルイズとシュヴルーズが黒板に叩き付けられる。 生徒達から悲鳴が上がり、驚いた使い魔達が大暴れを始め、教室中が阿鼻叫喚の大騒ぎとなった。 シュヴルーズは衝撃で気絶してしまったようだが、同じく爆発を至近距離で食らったルイズは煤で真っ黒になり服をボロボロにしながらも平然と立ち上がり、淡々とした口調で言った。 「…ちょっと失敗みたいね」 瞬間、教室中からブーイングが上がる。 「ちょっとどころじゃないだろ!ゼロのルイズ!」 「いつだって成功確率ゼロじゃないか!」 「だからルイズなんかに魔法を使わせるんじゃないって言ったのよ!」 「もうゼロなんて退学させちまえ!」 生徒達から次々と上がる罵詈雑言。その中心にいたルイズは平然とそれを受けながらも、杖を握った手が微かに震えていた。 その様子を写真に収めた士はレンズから顔を上げて呟いた。 「…だいたいわかった」 あの時シエスタが言おうとして言わなかった事。 『ルイズは魔法が使えない』のだ。 結局生徒達のブーイングは騒ぎを聞きつけた別の教師が現れるまで続いた。 シュヴルーズは即座に保健室に担ぎ込まれ、授業は中止。 崩壊した教室の片付けはルイズが、罰として『魔法無しで』と命じられたが、ルイズは魔法が使えないのでその罰則には殆ど意味は無かった。 ちなみに士はルイズの使い魔なので、有無を言わさず片付けを手伝わされていた。 士は主に重労働担当で、新しい窓ガラスや机を教室に運び込んだ。 ルイズは一度寮の部屋に戻って破れた服を着替えた後、煤で汚れた床や机の掃除や割れたガラスの片付けを担当した。 今は殆どの作業が終わり、ルイズと士は手分けして仕上げに雑巾で机の上を拭いていた。 片付け作業中、二人とも殆ど口を聞かなかった。作業をする上での必要最低限の会話は行ったが、それ以外では全くであった。 「…ゼロ、か」 士はルイズより先に自分の担当区分を終わらせると、ぽつりとそう呟いた。 瞬間、ルイズの動きが止まった。 「魔法を使うといつも爆発ばかり起こして失敗してしまう『ゼロのルイズ』…こいつは傑作だな」 士は笑いを抑えたような口調でそう言った。 ルイズの肩が怒りでわなわなと震える。 「確かこの世界じゃ魔法が使えるから貴族だったな?魔法も使えないくせに貴族、俺の事を平民と罵り蔑み自分の事は棚に上げ、…全く良いご身分だな」 「…アンタに、何がわかるのよ…」 ルイズが絞り出す様に声を出す。士はルイズの方を向いた。ルイズは机に両の手を付いたまま俯いている。 「……そうよ、アンタの言う通り私は魔法が使えない。どんなに勉強して、何度ルーンを唱えても!…いつも!爆発するばかり!!」 ルイズの口調がだんだんとヒステリックなものに変わっていった。 「失敗する度に勉強した…。何度も練習して、魔法を試してみた…。けど、結局は失敗の爆発が起こるだけ!私がどんなに努力しても、それは全部無駄に終わるの!! ……貴族は魔法が使えるから貴族って、アンタも言ったわよね。…そうよ、その通りよ。なら、魔法の使えない貴族に、存在してる意味なんてあると思う!?」 士は、何も応えない。ただじっとルイズの言葉に耳を傾けている。 「…そんなの、あるわけない。…私には、存在している意味なんて無いのよ…。…アンタみたいに…最初から魔法が使えない平民なんかに、私の気持ちなんてわからない!わかってたまるか!!!」 ルイズは士の方を向いて思いっきり叫んだ。ブロンドの髪を激しく揺らし、目元を赤く染め、鳶色の瞳に涙をたっぷり浮かべていた。 ルイズはずっと苦しんでいた。魔法の使えない自分に、それにも関わらず貴族に生まれてしまった自分に。自分と言う存在が、ただ存在しているだけで、どれだけヴァリエールの家名を汚したのであろうか。 ルイズが流したのは悔し涙だった。自分を侮辱した士に対する怒りよりも、不甲斐無い自分への悔しさが大きかった。 「…くだらないな」 しかし、感情を爆発させたルイズとは裏腹に、士は冷ややかに言い放った。 「…なん…ですって…?」 ルイズが眼を細めて士を睨みつける。しかし士は平然と続けた。 「くだらないって言ったんだ。たかが魔法が使えるだの使えないだの、要は人より強い力を持ってるか持ってないかの違いだろ?その程度で自分の存在だのなんだの、くだらない以外の何ものでもない」 「な………っ!」 ルイズは、唖然とした。この男はあろう事か、魔法の存在を、この世界の在り方を、根本から否定したのだ。 「…あ、アンタには判らないのよ!魔法の無い世界から来たアンタなんかには!魔法が使えるって事がどれだけ大切か!!」 「判るさ。…魔法じゃないが、俺も人より優れた力を持った連中をたくさん見てきたからな」 「魔法じゃない、力…?」 「そいつらの中には、力に溺れて自分の欲望のために力を振るう連中もいた。だが、そんな連中から弱き者を守るために力を使う奴らもいた。大事なのは、力の有無じゃなくて、その力をどう使うかじゃないのか?」 「…っ!」 士の話の内容に、ルイズは心当たりがあった。 ルイズは、貴族と言う身分でありながら、魔法と言う力を武器にして、弱き者、平民を虐げる愚かな貴族の姿をたくさん見てきた。 ルイズはそんな彼らの事が許せなかった。魔法が使えるにも関わらず、それを自分の欲望のためだけに振るう彼らが。 彼らは貴族なんかじゃない。貴族と言う皮を被り、魔法と言う武器を振るうだけのただの暴君だ。 ルイズは、本当の貴族と言うものを知っている。ただ力を誇示するだけの暴君じゃない、魔法を使って、民を守り、領地を守り、国を守る誇り高き存在こそ、真の貴族である、そう子供の頃から両親や姉に教え込まれてきた。 「…でも」 貴族の在り方、メイジの在り方、そんなものは当に判っている。 「…だからって何よ…!力を…魔法をどう使えば良いか、そんな事判ってても、私には、その肝心の魔法の力が無いのよ!?ならそんなの意味はない…!やっぱり魔法が使えないんじゃ、私は………!」 ルイズは歯を噛み締め、拳を力強く握り締めた。 士の言ってる事は、概ね正しい。しかしそれは力を持つ者にこそ有効な言葉だった。 魔法が使えない、魔法の力を何よりも欲しているルイズにしてみれば、ただの戯れ言でしかない。舌先三寸でどう言いくるめようとも、ルイズが魔法を使えないと言う事実は何も変わらないのだ。 「…そんなに力が欲しいのか?」 士が静かに尋ねかけた。 「………欲しいわ」 少し言葉に詰まりつつも、ルイズは正直な欲求を吐露した。 「何のために?」 「何の、ため…?」 しかし士は更に問いかけた。 思わずルイズは顔を上げる。 「そうだ。魔法の力を手に入れて、お前はその力を何のために使う?」 「…そ、そんなの決まってるわ!貴族の義務を果たし、我がヴァリエールの家名のため、ひいては祖国トリステインのために…!」 「そうじゃない。義務だの家名だの祖国だの、そんなお決まりな答えじゃない。お前自身はその力でどうしたいんだ?」 「…わ、私自身…?」 そんな事考えた事も無かった。貴族としての義務、家のため、名誉のため、祖国のため、子供の頃からそう教えられ、そして今の今までそれが当たり前として何の疑問も感じた事は無かった。 だがこの目の前の男は、ただの平民の使い魔は、凝り固まったルイズの価値観に一石を投じたのだ。 「わ、私は…」 改めて考えた。自分は、自分自身は何のために魔法の力を欲するのだろう? ルイズは、貴族でありながら魔法が使えない。その事で"ゼロ"と言う不名誉な称号を与えられ、"劣等生"、"落ちこぼれ"の烙印を押された。 そんなルイズは人一倍努力した。人よりも多く魔法の勉学に励むために時間を割いた。そう、ルイズは"ゼロ"の称号を払拭するために魔法の力を強く欲しているのだ。 だけど———。 「ただ、お前をゼロだと馬鹿にした奴らを見返したいだけか?」 「………」 それだけだった。 魔法が使えるようになって、"ゼロ"の汚名を返上して、ルイズが自分で考えていたのはそこまで。それから先なんて考えた事も無かった。 ただ漠然と、子供の頃から教えられた『貴族としての義務』を果たすんだと考えていただけだった。 ルイズは士を見た。 士は、真っ直ぐルイズを見ている。まるで心の奥まで見透かすような視線。下手に口先だけで誤摩化そうとしても無駄であると言わんばかりの眼力だ。 「……わ、わた、し、は……」 言葉に詰まる。何も言い返せない。 結局ルイズは『人を見返したい』ためだけに魔法を欲していたのだ。 そうしてルイズが言葉に詰まっていると、士はルイズから視線を外し、そして踵を返した。 「え…?」 惚けるルイズを尻目に、士はルイズに背を向けたまま口を開いた。 「その程度の答えも出せないお前には、どんな力も宝の持ち腐れだ」 それだけ言い残して士は教室の扉へと歩き出した。 「ちょっ…!ちょっと待っ……!」 慌てて静止させようとするルイズだが、途中で理性がルイズ自身を引き止めた。 士を引き止めて、どうするのだ? ルイズは見限られたのだ。不甲斐無いルイズは、使い魔として契約した青年に見捨てられたのだ。 そしてその地に落ちた権威を復活させる方法を、ルイズは何一つ思いつかなかった。 (……遂には使い魔に見限られるなんて…私って……) ルイズはその場にへたり込む。身体に力が入らず、その場で項垂れる。 教室の外へ出た士が扉を閉める。 バタン。 乾いた音が教室に木霊する。 「…本当、メイジ失格…ね…」 自嘲気味な笑みが浮かぶ。 鳶色の瞳から落ちた大粒の涙が、床に落ちて四方に弾けた。 昼休み開始の鐘が鳴り、ルイズは昼食を取るべく『アルヴィーズの食堂』を訪れた。 正直そんな気分じゃないのだが、身体は正直である、お腹の虫がルイズに昼食を取れと命じるのだ。 食堂に入るとルイズはふと食堂全体を見渡してみた。しかしやはりと言うか、そこにはルイズの求める人物は見当たらなかった。 (…当たり前よね、ここ、…平民が入れる所じゃないし…) それ以前の問題であるのだが、ルイズはそれを認めてしまうのが怖かった。 「あらルイズ、片付けお疲れさま♪」 するとその前に宿敵キュルケが現れた。 「キュルケ…」 キュルケはまた盛大に失敗魔法を繰り出したルイズをからかうつもりで声を掛けたのだが、意外にもルイズが気の無い返事を返したため、キュルケは怪訝に思った。 「…あんた、何かあったの?」 普段と違うライバルの様子に、キュルケは思わず心配してしまう。 「…なんでもないわよ」 ルイズはそっぽ向いて言った。 「とてもじゃないけど何もなかったようには見えないんだけど」 「何もないわよ…」 尚も否定し続けるルイズに、キュルケは少し苛立ちを覚えた。 「あっそ!そう言えばあんたの使い魔の姿が見えないわねぇ。もしかして、いよいよ見限られたとか?」 少しカマを掛けるつもりで、いつものようにからかう口調で言ったつもりだった。 その瞬間、ルイズは目の前が真っ白になった。 「何でもないって言ってるでしょうっ!!!!!」 食堂中にルイズの叫び声が響き渡る。 あまりの大声に食堂が一瞬静まり返った。その場にいた生徒達の視線がルイズに集まった。 「…なんでも、ないんだから…」 尚も否定の言葉を呟いて、ルイズは食卓の方へと歩いていってしまった。 「…ちょっと、まずったわね」 今のやり取りで大体の事情を察し、キュルケは自分が地雷を踏んでしまった事を理解した。 ルイズは食卓に着くと昼食を取り始めたのだが、やはりどうにも食は進まない。 いつもは食欲をそそる目の前の料理が、ただの無意味なオブジェにしか見えない。 「使い魔に逃げられたのがショックで、食欲も無くした?」 するとその隣の席に何故かキュルケが座った。 ルイズは一瞬キュルケを睨みつけたが、すぐ無視して皿に盛り付けた料理との格闘を再開させる。 「無視…ね。相当ショックだったみたいね」 黙々。ルイズは機械的に皿の上の料理を口に運び、咀嚼すると言う作業を繰り返す。 「何言われたか知らないけど、愚痴くらい聞くわよ?」 尚も黙々と料理を頬張るルイズ。その姿にキュルケは親友の少女の姿を重ねた。 「…っ〜〜ぅ!もう!何あんたまでタバサみたいになってんのよ!タバサのあれは可愛げがあるけど、あんたまでそれじゃあ幾ら何でもこっちの調子が狂っちゃうのよ!!」 しかしルイズは相変わらず。話しかける度にルイズに対する苛立ちが募ってゆく。 キュルケははぁと大きな溜息を付いた。 「…大方、失敗魔法見られて愛想つかされたって所でしょうけど、そんなんで落ち込んでどうすんのよ?いつものあんたなら『絶対に見返してやる!』って息巻くんじゃないの?」 ぴくり。ルイズが微かに反応を見せた。 「そもそもあんたそうやってずっと落ち込んでるつもり?まぁ私は別に良いんだけど、そのままじゃあんたは一生ゼロのままよ!私には関係ないけどね!」 するとそれまで人形のようだったルイズがふうと小さく息を吐いた。ゆっくりと首を回して、半眼でキュルケの方を見た。 「…まさか、アンタに励まされる日が来るとはね、ツェルプストー」 そう言われて、キュルケの頬に朱が差した。 「べ、別にあんたの為に言ったんじゃないんだからね!ライバルが不甲斐無いんじゃ張り合いが無いと思っただけよ!」 なんだかいつもの自分が言いそうな台詞だと思って、ルイズは小さく笑った。 「礼は言わないわよ」 「要らないわよ、言われたら逆に気味が悪いわ」 キュルケは手をひらひらさせてルイズを突っぱねる。 いつも通り、と言うにはまだ程遠いが、ルイズは普段の調子を取り戻しつつあった。そのきっかけがキュルケ、と言うのが少し癪だが。 「…ねぇキュルケ、アンタはこの学院を卒業したらどうするの?」 「何よ、薮から棒に」 「良いから答えて」 「…そうねぇ」 返答を急かされて仕方無くキュルケは思案する。 「普通に考えたら従軍ね。あんたも知っての通りうちは軍人の家系だしね。…あぁ、でもあたしは実家とがアレだから…もしかしたら適当に手柄立てて独立するかもしれないわ」 「…つまり何も決まってないわけね」 ルイズは冷ややかに感想を述べた。 ルイズの方から振ったくせにあんまりにもな反応に、キュルケは流石に苛立ちを覚える。 「なによ。じゃああんたはどうするって言うのよ?」 「…わかんないわよ、そんな事」 特に取り繕うわけでもなく、ルイズは素直にそう答えた。 意外な返答が返ってきた事に、キュルケは少し驚いた。 わからない。それがルイズの正直な気持ちだ。ルイズの場合はその前に魔法を使えるようにならなければ意味が無いのだが、もし魔法が使えるようになった時、その力を何のために使うのか、士に出された問の答えは『わからない』が現状だ。 「…よく判らないんだけど、それって今答えを出さなきゃいけない事なの?」 キュルケが尋ねる。 「別にクサい事言うつもりは無いんだけど、あたし達ってその答えを出すためにこの学院に通ってるんじゃないの?あたし達はまだ2年に上がったばかり、就学期間は後2年もあるのよ?その間に答えを出せば良いんじゃないの?」 キュルケの言う事はもっともだ。ルイズも肯定せざるを得ない。 だけど、ルイズにはそれじゃダメなのだ。その答えが出せなかったから、ルイズは士に見限られてしまった。確たる答えを見つけ出さない限り、ルイズは士に自分を認めさせる事なんて出来ないと考えていた。 (…また、認めさせる、か) 結局自分はそればっかり、とルイズは自嘲した。 その様子をキュルケは隣で訝しげに思っていた。 するとそんな折、突然食堂に『パシーン!』と言う乾いた音が響き渡った。 食堂にいた殆どの生徒が何事かと音のした方向に視線を集める。 例に漏れずルイズ達もそちらを見ると、よく見知った金髪巻き髪の少年・ギーシュが、1年生と思しき栗毛の少女に頬をひっぱたかれていた。 「その香水があなたのポケットから出て来たのが何よりの証拠ですわ!さようなら!」 栗毛の少女はそのまま走り去り、食堂から出て行ってしまった。 取り残されたギーシュはと言うと、呆然として叩かれた頬を擦っていた。 「…なにあれ?」 「ギーシュね。大方二股だか三股だかがバレたんでしょうよ」 ギーシュと言えば、色男で有名である。 確かに顔はそこそこイケてると思うが、ルイズにとってはそれだけだった。 それにギーシュの噂話を聞く機会は少なからずあった。ルイズ達も年頃の女の子である、色恋沙汰の話となるとそこら中で聞く機会が多い。中でもギーシュに関する話は数知れず、聞く度にルイズは何股掛けてるんだと心の中でツッコミを入れていた。 今回はどうやらキュルケの言った通りのようで、その証拠に今度は見事な巻き髪の、ルイズと同学年の少女・モンモランシーが厳めしい顔つきでギーシュの下に近付いて行った。 「モンモランシー、誤解だ」 何とか弁明しようとするギーシュだったが、モンモランシーはまったく聞く耳持たず、テーブルの上に置かれていたワインの瓶を持ち上げると、その中身をギーシュの頭の上からどぼどぼと注いだ。 「うそつき!」 そしてそう吐き捨てると、モンモランシーは涙目でさっきの栗毛の少女と同じ様な動きで食堂から走り去って行った。 しんと静まり返る食堂、皆の注目を集めていたギーシュはと言うと、気障ったらしい仕草でハンカチで顔を拭きながら、 「あのレディ達は薔薇の存在の意味を理解していないようだ」 などと芝居がかった口調でその場を必死に取り繕っていた。 「ザマぁないわね」 「まったく」 二人は揃って同じ感想を口にした。 騒動も終息し、食堂がいつもの喧噪に包まれ始める。 ルイズもそろそろと思った時、ギーシュの声が食堂に響いた。 「待ちたまえ!」 再び注目の的になるギーシュ。そのギーシュが相方として舞台に上げたのは、黒髪のメイドの少女であった。 「君が軽率に香水の瓶なんかを拾い上げたお陰で二人のレディの名誉が傷ついた。どうしてくれるんだね?」 どうやらギーシュはそのメイドに難癖をつけて、自分がかいた恥の責任を全て彼女に押し付けようと言うのだ。 「…なんかもう哀れを通り越して痛々しいわね」 ギーシュ自身は自分のプライドを守るためにやってるのだろうが、はっきり言って見苦しい。キュルケを始め他の生徒達も似たような感想だろう。 そして相方のメイドはと言うと顔を真っ青にして怯え切ってしまっている。何があったかは知らないが、可哀想に、とキュルケはそのメイドを哀れんだ。 が、その横で同じく推移を見守っていたルイズはそうはいかなかった。 「あの子、確か…」 ルイズは自分の記憶の中から黒髪のメイドの情報を探り出すと、ルイズは立ち上がって、ギーシュ達の方へと足を向けた。 「ちょっとルイズ?あんたちょっかい出すつもり?」 黙って行かせる事も気が引けるので、キュルケは一応ルイズを引き止めた。 「…アンタ、あの子の事何か知ってる?」 「あの子って、あのメイド?確かに黒い髪は珍しいから印象には残ってるけど…」 別にそれ以外はただのメイドだ。特に際立って親しいわけでもない。 ルイズは小さく息を吐いた。 「あの子、メイジにトラウマ持ってるのよ!」 それだけ言って、ルイズはギーシュ達の所に吶喊して行ってしまった。 残されたキュルケはと言うと、暫し呆然としていた。 「…あの子が、平民の事を覚えてる何てねぇ…」 ライバルの意外な一面を垣間見て、キュルケは少しだけ感心した。 「さて、どう落し前を付けてもらおうかな?」 薔薇の造花を象った杖を手にし、下賤な笑みを浮かべてギーシュはじりじりとメイドの少女・シエスタとの距離をつめる。 シエスタは後ずさろうとするが、恐怖で足が縺れてしまい、床に尻餅をついてしまった。 助けを求めようにも、周りの貴族達は皆一様に好機の眼差しでこの状況を観覧しているだけで、誰も助けに入ろうとはしない。 シエスタの給仕仲間達も、相手が貴族とあっては、助けるに助けられない。 「どうやら君にはキツーいお仕置きが必要のようだな」 シエスタに杖が向けられる。 かつての炎の記憶が蘇り、シエスタの心が恐怖に支配される。 (助けて!———!) 「やめなさい!」 心の中で助けを求め"彼"の名を叫ぼうとした瞬間、そこに待ったが掛けられた。 新たに舞台袖から登場した人物は、桃色の髪を揺らしたルイズであった。 「ミス・ヴァリエール…」 「ルイズ、一体何のつもりだ?」 ギーシュが忌々しげにルイズを睨みつけた。 「アンタこそ何のつもりよ!自分の失態を下の者に押し付けるなんて、貴族としてみっともないと思わないの!?」 ギーシュは眉を顰めた。周囲からも「そうだそうだ!」とルイズに合意する野次が飛ぶ。 「フン、彼女の先走った行いの所為で二人もの純真な少女達が傷ついたんだ!お仕置きを受けて当然だ!」 「そもそも二股なんか掛けてるアンタが悪い!」 ルイズはきっぱりと言い切った。瞬間、周囲がどっと笑い出す。 「その通りだギーシュ!お前が悪い!」 誰かが叫ぶと、ギーシュの顔に赤みが差した。 「…ゼロのルイズのくせに…!」 苦々しくギーシュが吐き捨てる。 するとルイズの眉がぴくりと動く。これを見逃さんとギーシュが反論する。 「ゼロのルイズ!自分が魔法を使えないからって同じ魔法の使えない平民を味方か!ヴァリエール公爵家の名が廃るな!」 ギーシュの感情に任せた精一杯の反撃だった。 もしギーシュに冷静な判断が残っていれば出来るだけ穏便に済ませようとする筈だった。 だが愛する少女達に愛想を尽かされ、周囲の連中の笑い者にされ、魔法も使えない自分より格下(と思っている)少女に図星を突かされ、ギーシュはすっかり心の余裕を無くしていた。とにかく何か言い返さなければ、自分のプライドが許さなかったのだ。 「わ、私がゼロだとかは今は関係ないでしょう!?そう言うアンタこそ、自業自得で恥かいて、その憂さ晴らしに平民に杖を向けるなんて、貴族の恥さらしも良いとこよ!さっきの台詞そっくり返すわ。グラモン家の名が廃るわよ!」 「ぐっ…!」 だがその反撃もあっさり返されてしまった。 ギーシュは言い返す事が出来なかった。何より自分に流れる貴族の血がルイズの言い分を肯定していたのだ。 そして周囲の野次馬達の興味は、すっかりギーシュがどう謝るかと言う一点に集まりだしていた。 謝る?僕が?誰に?ルイズに?…いや、ルイズに謝るなら、当然その後ろで尻餅をついているメイドにも頭を下げなきゃならなくなる。つまりそれは自分の非を全面的に認めた上で、平民なんかに頭を下げなきゃならないと言う事だ。 そんな事は、プライドが許さなかった。 なれば、残された手は———。 「…決闘だ」 「え?」 「決闘だ!ルイズ・ド・ラ・ヴァリエール!このギーシュ・ド・グラモン!君に決闘を申し込む!!」 「はぁぁぁぁ!!?」 ギーシュは芝居がかった仕草で大袈裟に宣言した。すると周囲から「うおおおお!」と歓声が上がった。 だが当のルイズは、あまりにも無理矢理すぎる流れにまったく納得がいかなかった。 「学院内での決闘は禁止されてる筈よ!判ってるの?」 「おや?公爵家ともあろうお方が恐れを成して逃げ出そうと言うのですかな?」 ギーシュはあくまでも優雅に、ルイズを挑発した。 もうどうしようもなかった。流れが無茶苦茶すぎるとか、学則違反だとか、相手が公爵家だとか、そんな問題些細な事に思えた。とにかく自分のプライドを守るためにはこうするしか、自分の力でルイズを屈服させ、頭を垂れさせるしか無いと判断したのだ。 完全に攻守が逆転し、今度はルイズが選択を迫られた。 決闘を受ければ、魔法の使えないルイズにはまず勝ち目は無いだろう。 だからと言って断れば、ルイズに新たな不名誉な称号が与えられる。今のこの状況、その不名誉な称号はあっという間に学院中に広まり、また自分がヴァリエールの家名を汚す事になるかもしれない。 ルイズにとってそれ以上に堪え難い苦痛は他に無かった。 「い、良いわよ!その決闘!受けてやろうじゃない!!」 瞬間、周囲から『おおおお!!』と言う歓声が上がった。 ギーシュの口元が嫌らしくつり上がった。 「よく言った、ルイズ。…そうだな、この食堂を血で染めるのも忍びない。『ヴェストリィの広場』で待っているよ!」 そうとだけ言い残して、ギーシュはその取り巻きを連れて食堂から去って行った。 後に残されたのはルイズとシエスタ。ルイズは勢いに任せて何て事をしてしまったのかと今更ながら後悔した。 もう一人、シエスタはと言うとその場にへたり込んだまま顔を真っ青にしていた。 「…ミ、ミス・ヴァリエール……」 シエスタが涙目でルイズを見詰める。 「…な、なん、で…そ、そんな…わた、私なんかの、ため、に…そ、んな……」 様々な感情が渦巻いてシエスタは上手く言葉を紡ぐ事は出来なかった。 そんなシエスタの言動がおかしくて、ルイズは思わず吹き出してしまった。お陰で少しだけ気が紛れた。 「別にアンタを助けたワケじゃないわよ。ただ貴族として、ギーシュを許せなかっただけ」 少し無理矢理だが笑みを作ってルイズは虚勢を張って見せた。 「…で、でも……」 シエスタは尚も食い下がる。全ては自分が撒いた種、その自分の不始末を恐れ多くもミス・ヴァリエールに押し付けてしまうなど、決して許されざる行為なのだ。 「…ホント、どうするつもりなの?ルイズ」 するとそこに事の推移を傍観していたキュルケが二人の間に入ってきた。 「どうするも何も、決闘受けちゃったんだから、やるしか無いわよ」 「ゼロのあんたに何が出来るって言うの?」 「う"」 痛い所を疲れて閉口する。 この世界に於いて魔法とは絶対の力の象徴。故に平民はメイジに絶対に勝てないと言うのが常識だ。 ギーシュは最低クラスのドットクラスであるが、対してルイズはゼロ、魔法が使えない。そう言う意味ではルイズは平民と殆ど変わらないのだ。 「な、何とかなるわよ!何とか!」 「ま、殺される事は無いだろうけどね」 ルイズは曲がりなりにも公爵家、それにギーシュはフェミニストでもある、命を取る事はまず無い筈だ。 「…アバラの2、3本は覚悟しといた方が良いけれど」 からかう意味合いを込めてそう補足する。 ルイズとシエスタの身体が同時に跳ね上がった。 「あぁもう、好きに言ってなさい!ギーシュなんて返り討ちにしてやるんだから!!」 そう言ってルイズはズンズンと食堂の外へと歩き去って行った。 途中、シエスタが引き止めようと声をかけたが、ルイズは聞こえないのか態と聞こえないフリをしたのか、振り返りもせず食堂を後にした。 「…ま、本当に危なくなったらあたしが止めに入るわよ」 「ミス・ツェルプルトー…」 残ったキュルケが優しい声でシエスタを宥めた。 「さて、と」 そろそろ自分も行きますか、とキュルケがその場で伸びをすると、見知った顔がまだ食卓に座っている事に気が付いた。 「ターバサ♪一緒に行きましょう」 キュルケの親友、青髪のショートヘアーで赤い縁の眼鏡をかけた少女、タバサである。 タバサは食事を終えても尚食卓に着いてひたすら読書に励んでいた。 「いい、興味無い」 タバサは簡潔に返答して立ち上がろうとしない。どうやら昼休みが終わるまでここで読書しているつもりらしい。 「本なんていつでも読めるじゃない。たまにはレクリエーションに付き合うのも悪くないんじゃない?」 キュルケがそう言うと、タバサは小さく溜息を付いて、開いていた本を閉じて椅子から立ち上がった。タバサにとってキュルケは数少ない友人、その友人を無下にしたくはないのだ。 「そうこなくっちゃ♪」 キュルケはからっと笑うとタバサの手を引いてルイズの後を追った。 ただ一人食堂に残されたシエスタは、相変わらず自責の念に囚われていた。 自分の所為でミス・ヴァリエールに迷惑をかけてしまい、あまつさえ決闘を受けるなんて事態になってしまった。 ミス・ツェルプストーはああ言ってくれたけど、それはつまり更に自分の所為で貴族様のお手を煩わせてしまう事になり、シエスタにはより一層の重責がその身にのしかかってしまう事になってしまうのだ。 それにミス・ヴァリエールが魔法を使えない事は平民間でも有名な話だ。つまり力量で言えば平民と大差ない事も同義、もし万が一の事が無いとは言い切れない。 魔法の恐ろしさは、身を以て味わっている。———あの時、"彼"がいてくれなかったら、自分はどうにかなっていたかもしれない。 「…始祖ブリミルよ…どうか…どうかミス・ヴァリエールを…どうか…」 シエスタは両手を合わせてか細い声で始祖にミス・ヴァリエールの無事を願った。シエスタにはそれくらいの事しか出来なかった。 「神頼みか…それも良いだろう」 するとそんなシエスタの元に青年が近付いてきた。 さっき空腹で困ってると聞いたので、調理場で賄い料理を振る舞ってあげたミス・ヴァリエールの使い魔の青年…。 「どうやらこのまま見過ごしたら寝覚めが悪そうだ。…それに、あいつの事もだいたいわかったしな」 シエスタははっとなった。彼は、彼もまた、ミス・ヴァリエールの元に行こうと言うのだ。そして、彼女を助けようと言うのだ。 「だ、駄目です!あなたも平民、貴族様には…メイジには敵いっこありません!…こ、殺されちゃいます!」 彼は身分を持たないただの平民、危険度で言ったらミス・ヴァリエールより遥かに危ない。何とかして青年を引き止めようとするシエスタ。 ミス・ヴァリエールに続き、その使い魔の青年まで行かせてしまったら、ただでさえもう悔やみ切れない事態になっていると言うのに、これ以上は自分はどうすれば良いと言うのだろうか。 だが使い魔の青年はそんなシエスタの静止をまったく意に介さず、悠然と歩き出した。 「お、お願いです!止まって!!」 すると青年はその場で立ち止まった。シエスタは一瞬安堵したが、青年はそのシエスタの方を向いた。 「安心しろ。俺は神だなんて大層なものじゃないが、世界を破壊する悪魔だからな。あんな洟垂れ小僧なんかに負けたりしない」 そしてそうとだけ言い残し、結局そのまま食堂を後にしてしまった。 取り残されたシエスタはその場でただ呆然としていた。 「…悪、魔……?」 彼が言い残した言葉を、シエスタはまったく理解出来なかった。 前ページ次ページゼロと世界の破壊者
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うまく寝付けない夜には、ルイズは使い魔のところにいく。 魔法学院の中庭には、ミスタ・コルベールが建ててくれた工房があり、ルイズの召喚した使い魔は毎日そこで作業をしているのだ。 寝巻きにマントを引っ掛けた格好で、ルイズはそっと階段を降り、中庭に出た。案の定、工房にはこうこうと明かりがついていた。 しゅ……しゅ……と、木に鉋をかける心地の良い音が聞こえてくる。ルイズはその音を聞きたくて、足しげく工房に通うのかもしれない。 ランプにぼんやりと照らし出されながら、ルイズの使い魔は作業をしていた。 入ってきたルイズに気がついて、使い魔が顔を上げた。 「……どうした。眠れねえのか」 「うん……ちょっとね」 「今夜は少し冷えるから、毛布でもかぶってな」 「……うん」 使い魔の差し出す毛布にルイズは包まった。使い魔の邪魔にならないように隅に腰を下ろし、ぼんやりとルイズは工房を見渡した。 大き目の掘っ立て小屋のような工房には、様々な木でできた部品が並べられている。ミスタ・コルベールが手伝って『錬金』で造った部品もたくさんあった。 溶接の作業には、最近すっかりルイズの使い魔と仲良くなったギーシュが担当しているようだった。 (……はじめは、決闘でワルキューレにぼこぼこに殴られていたのにね) くす、とルイズは微笑む。小型のオークのような外見に反して、使い魔はからっきし弱くて、ギーシュのゴーレムにまったく勝てなかった。 顔を二倍ぐらいに腫らした使い魔のために秘薬を探したのも、今となってはいい思い出である。 黒いメガネをかけたキザな使い魔。なるほど、どこかギーシュに似てるかもしれなかった。 (それにしても……) ルイズはあらためて使い魔の造っている『船』を見た。すらりとした船体はハルケギニアのそれとはずいぶん違っている。 火竜のブレスのように真っ赤に塗られているそれは、見れば見るほど奇妙だった。 何より、帆がない船なんてあるだろうか? 使い魔は、宝物庫で見つけた『えんじん』というのを使えば、必ず飛ぶと言うけれど。 ルイズは一息ついてタバコ(巻きタバコというらしい)を鼻からくゆらす使い魔に声をかける。 「ねえ、本当にこんな船が飛ぶの……? 風石も魔法もなしに浮かぶなんて、なんだか信じられないわ……」 「……俺の世界じゃ魔法がねえからな。みんなこうして造るのさ。前に……俺の戦闘艇を造ったのは、おまえさんと同い年の娘だったぜ、ルイズ」 「ふぅん……」 どんな子だろう、とルイズは毛布にあごを埋めた。自分と同い年でこんな船を造った娘がいる。 まだ自分は魔法一つ使えないのに。でも、使い魔の世界では魔法を使える人間はいないらしい。 「その娘もオークなの?」 何気なく聞いてみたのだが、使い魔は大きな口をあけて笑い出してしまった。なにやら見当違いのことを言ったらしい。ルイズの顔が赤くなる。 「はあっはっはっは……! フィ、フィオがオークだと……? はっはっはあ……! こりゃいい、フィオに聞かせてやりたいぜ……!」 「いいわよ……。何も笑わなくてもいいじゃない……」 すねるルイズに、使い魔はにやりと笑ってみせた。 「いいや……俺の世界でも人間は人間さ……魔法が使えない以外は全部こっちと同じだ。俺だけさ、魔法がかかってるのはな。 フィオは美人だ。おまえさんみたいにな、ルイズ」 「嘘ばっかり……」 使い魔が自分はオークではなく人間だというので、タバサに頼んで解除魔法をかけてもらったこともある。結果は変化なしだったが。 「人間の世界に飽きただけさ」と笑う使い魔は、どこまで本気かわからなかった。 今夜の仕事は終わりなのか、使い魔は道具をしまい、工房の窓を閉める。ルイズも毛布をかぶったまま立ち上がった。 使い魔は工房にベッドを作り、普段はそこで寝ているのだ。 工房を出るとき、ルイズは使い魔を振り返った。 「ねえ……その『飛行機』が完成したら、それで、本当に飛んだら……」 「飛ぶさ。飛ばねぇ豚はただの豚だ」 「……私も乗せてくれる? その『飛行機』に」 「もちろんだ」 使い魔はランプに手を伸ばした。火を吹き消そうとして、思いついたようにルイズを見つめた。 「だが……飛行機に乗せる前に、一つだけ約束だ、お嬢さん」 「なに……?」 「夜更かしはするな。睡眠不足はいい仕事の敵だ。それに美容にも悪いしな……。さ、もう寝てくれ」 「もう、また子供扱いして……」 「いいや、大人だからさ」 ルイズはぷっと頬を膨らませた。こういう仕草が子供っぽいのだと自分でも気がついているのだが。 使い魔は黒メガネを外し、ふっとランプを吹き消した。明かりが消える一瞬――使い魔の顔が、人間の顔に見えて、ルイズはごしごしと目をこする。 しかし、もう一度見てみると、そこにいるのは相変わらずの豚の顔なのであった。 「おやすみルイズ。いい夢をみな」 「……おやすみ、ポルコ」 ルイズはばたんと扉を閉めた。 おわり -「紅の豚」のポルコ・ロッソを召喚
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前ページ次ページSERVANT S CREED 0 ―Lost sequence― その夜……。 ルイズが部屋に戻ったのは日もとっぷりと暮れた夜だった。 オスマン氏との話を終えたルイズは、学院長室を出た後、そのままエツィオのいるであろう部屋に戻ることができなかった。 話をしてみろ、とオスマン氏に言われていたものの、エツィオの正体を知ってしまった今、どう話かけていいかわからなかったのだ。 中庭のベンチに腰掛け、どうエツィオに話を切り出すべきかと、あれこれ考えているうちにすっかり夜になってしまっていた。 結局、なんの考えも浮かばずに、仕方なくルイズは部屋に戻ることにしたのだった。 「おかえりルイズ、随分と遅かったじゃないか、もう寝る時間だぞ」 ルイズが部屋の扉を開けると、使い魔であるエツィオがにこやかに迎え入れてくれた。 違いといえば、いつも身につけている白のローブではなくシャツを着ているという所だけであろうか。 こうしてみると、どこにでもいる品のいい青年、と言った感じである。 今まで片づけていたのだろう、下着や食器が散乱していたはずの部屋は綺麗に片付いている。 それどころか、ベッドの上にはルイズの着替えまで置いてあった。帰ってきて早々この仕事っぷり、相変わらず気の利く男である。 久しぶりに見る、いつも通りの陽気なエツィオ。そんな彼を見ていると、本当にこいつはアサシンなのだろうか? と首を傾げたくなってくる。 「どうしたんだ? 悩み事か? なんなら相談に乗ってやるぞ」 「な、なんでもないわよ!」 そんな風にルイズが考えていると、エツィオが顔を覗きこんでくる。 相変わらずの、人をからかうような仕草にルイズは頬を僅かに赤くしながら怒鳴りつける。 ルイズはベッドに行くと、そこに置かれた着替えを手に取った。 エツィオの言うとおり、そろそろ寝る時間だ。随分長い間悩んでいたものだと考えながら、着替えを始める。 だが、何を思ったか、着替えようとしていたルイズの手がはたと止まった。それから、はっとエツィオの方へ振り向いた。 エツィオはというと、机の上に置かれた装具類を点検している。こちらを見てはいないようだ。 それをみたルイズは、いそいそと外していたブラウスのボタンを留め、ベッドのシーツを掴むと、それを天井に吊り下げ始めた。 「ん? 何をしてるんだ?」 ルイズのその行動に、流石に気が付いたのか、エツィオが尋ねる。 しかしルイズは頬を赤く染めたきり答えずに、シーツでカーテンを作り、ベッドの上を遮った。 それからルイズは、シーツのカーテンの中に入り込む。ごそごそとベッドの中から音がする。ルイズは着替えているようだ。 エツィオは小さく首を傾げた、いつもだったら、堂々と着替えていたはずなのに……。とそこまで考えが至った瞬間、ニヤっと、口元に小さな笑みを浮かべた。 ああ、そういうことか。ようやく俺のことを男として見始めたな。 とにかく鋭いエツィオは、ルイズの行動の原因として、即座にその答えをはじき出した。 さて、これからどう接してやろうか。と考えていると、カーテンが外された。 ネグリジェ姿のルイズが月明かりに浮かんだ。髪の毛をブラシですいている。 煌々と光る月明かりのなか、髪をすくルイズは神々しいほど清楚に美しく、可愛らしかった。 「へえ、これは驚いたな、カーテンの中からウェヌスが出てきたぞ」 「ウェヌス?」 聞きなれぬ名に、ルイズは首を傾げる。 そう言えばそうだった、ここは異世界だ、彼女がローマの神を知る筈はない。 「俺のとこの、美の女神さ」 エツィオがそう教えると、ルイズの頬に、さっと朱が差した。 「なな、何冗談言ってるのよ! あんたは!」 「冗談じゃないさ、きみは美しい」 「ば、バカ言ってないで、さ、さっさと寝るわよ!」 まっすぐにそう言われ、ルイズの顔が益々赤くなった。見るとエツィオはにやにやとほほ笑んでいる、こちらの反応を楽しんでいるようだ。 ルイズはベッドの上に置いてあったクッションをエツィオに投げつけた。コイツと話をしていると、ホントに調子が狂ってしまう。 ぐったりとした様子で、ルイズはベッドに横になり、机の上に置かれたランプに杖を振って消した。 灯りが消え、窓から差し込む月の光だけが、部屋を照らしだした。 装具の点検を終えたエツィオも、睡眠をとるべく、部屋の隅に置かれたクッションの山に体を預けた。 クッションが敷かれているとはいえ、寝心地は最悪である、これならアルビオンに滞在中に眠った安宿のベッドのほうが幾分かマシである。 「あいたたた……」 久しぶりの寝床の寝心地の悪さに、思わずエツィオは爺くさい声をだす。 そんな風にして学院に戻ってきたという事実をしみじみと感じていると、ルイズがもぞもぞとベッドから身を起こし、エツィオに声をかけた。 「ねえエツィオ」 「ん?」 返事をすると、しばしの間があった。 それから、言いにくそうにルイズは言った。 「いつまでも、床っていうのもあんまりよね。だから、その、ベッドで寝てもいいわ」 思わぬルイズの提案に、エツィオは顔を輝かせた。 「おい、いいのか? きみのこと襲っちゃうかもしれないぞ?」 「勘違いしないで、へ、変なことしたら、殴るんだから」 エツィオは手をわきわきと動かしながら、冗談めかして笑った。 「殴るだけか? ……なら試す価値はあるかな」 そう嘯くと、エツィオは即座にベッドの中に潜り込み、ルイズに寄り添う様に隣に寝転んだ。 ルイズが許可を出してからこの間、わずか数秒。 一切の迷いもためらいもない、あまりのその自然な行動にルイズは何も反応できずに、固まってしまった。 「さて、どうしてやろうか」 「ちょ、ちょっとやめてよね! 変なことしたら殴る……っていうか殺すわよ!」 顔を赤くしながら、震える声で叫ぶルイズに、エツィオはからかうように笑って見せた。 「冗談さ、嫌がる子を無理やりってのは好きじゃないんだ。だから……」 「だ、だからなに……?」 「きみが俺を求めるまで、俺は手を出さないことを誓ってやるよ」 ニィっと、口元に笑みを浮かべてエツィオが笑う。 その言葉が意味するところを知ったのだろう、ルイズは羞恥と怒りを爆発させる。 「こ、この……! 馬鹿にするのもいいかげんにっ……!」 「はいはい、悪かったよ。きみには刺激が強すぎたかな」 「ぐっ……、やっぱり呼ぶんじゃなかった……!」 悔しそうに歯ぎしりするルイズを見ながら、どれだけ耐えられるか、見ものだな……と、エツィオは内心ほくそ笑んだ。 プライドの高いルイズのことだ、そうやすやすと落ちはしないだろう。だからこそ、落とし甲斐があるというものだ。 ……しかし、しかしである。もしもルイズに手を出した場合……、なんだかすごく面倒なことになりそうな気がしてならないのも事実だ。 それこそイヴの誘惑に負け、エデンの果実を口にしたアダムのようになりかねない、そんな予感がする。世に言うめんどくさいタイプだ。 そう言う意味では、彼女は創世記にある禁断の果実そのものなのだろう。俺はもっと楽しみたい、だから最高の楽しみは、最後に取っておく。 自分の魅力に落ちない女性はいない、そんな絶対の自信を持っているエツィオだからこそ出来る、邪な考えであった。 しばしの間、そんな二人の間を沈黙が支配する。 そして、しばらくたった後、エツィオはぽつりと呟くように口を開いた。 「アルビオンでは……すまなかったな」 ルイズは答えない。 もう寝てしまったかな? と思ったが、寝息は聞こえてこない。エツィオは続けた。 「きみに辛い思いをさせた上に、危険な目にも合わせてしまった、……使い魔失格だな」 「そ、そんなことっ……!」 その言葉に、ルイズは思わず身を起こし、エツィオを見つめた。 エツィオは口元に笑みを浮かべ、言葉の続きを促す様に首を傾げて見せる。 「そんなこと?」 「な……ない……」 ルイズはエツィオから顔をそむけ、僅かに頬を赤くしながら小さな声で答えた。 ほんとなら、ちょっとは文句くらい言おうと思っていた、しかし、エツィオに先手を打たれ、思わず本音が出てしまったのである。 再びベッドに横になり、エツィオに背を向ける。そんなルイズを横目で見つめながら、エツィオは小さく笑い、言った。 「二度ときみを傷つけさせない、約束するよ」 「あたりまえじゃないの」 それからルイズは決心したように口を開いた。 「でも、わたしも、あんたに謝らなきゃ。ごめんね、勝手に召喚したりして」 「本当だよ、まったく」 「んなっ!?」 エツィオがあっさりそんな事を言う物だから、ルイズは再び体を起こし、今度はエツィオを睨みつける。 「ど、どういうことよ!」 「イタリアに帰りたくなくなるってことさ」 エツィオは、うー、と睨みつけてくるルイズにニヤリと笑みを浮かべてみせると、ルイズの頬に手を伸ばし、愛おしそうに撫でた。 「俺は今、毎日が充実してる、きみのおかげだ」 「か、からかわないでっ!」 かぁっ、とルイズは顔を赤くすると、その手を取り払った。 ぼふっとベッドに横になると、再びエツィオに背を向けてしまった。 「もう! 謝らなきゃよかった!」 「ははっ、でも本当さ、出来るならずっときみの傍にいたい、そう思ってる」 「っ……!」 耳元で囁かれ、どくん、とルイズの胸が高鳴った。 並みの女性なら、それだけでノックアウトされてしまいそうになる程、憂いを含んだ甘い囁き。 ひどい、エツィオひどい。そんな事言われて、平常心なんて保っていられるわけないじゃない。 今、自分がどんな顔をしているのかまるで想像が出来ない、きっと酷い顔になっている。 エツィオに背を向けていてよかった、こんな顔見られたら、ますますからかわれてしまう。 そんなルイズの様子を知ってか知らずか、エツィオは続けた。 「でも……それはできない。いつかは帰らなきゃ……」 「し、心配しなくても、きちんと帰る方法を探すわよ……」 「おい、本当か? ……まあ、期待せずに待つとするさ」 エツィオは笑いながらそう言うと、それきり黙ってしまった。 しばしの沈黙の後、ルイズはもぞもぞと動き、エツィオの方を向いた。 寝てしまったのかな? と思っていたが、エツィオはまだ起きているようだ。 話をしなきゃ……と、ルイズは意を決してエツィオに話しかけた。 「ねえ、あんたのいたイタリアって、魔法使いがいないのよね」 「いない、概念はあるけどな」 「月は一つしかないのよね」 「生憎、二つ浮いているのは見たことがないな」 「へんなの」 「ははっ、そうだな、月はともかく、魔法が無いなんて、不便なものさ。お陰で空も飛べやしない」 「あんたは向こうでは……」 ルイズはそこで言葉を切った。 それからエツィオの横顔を見つめながら、ためらう様に尋ねた。 「あんたは……『アサシン』なのよね」 「……」 「オールド・オスマンから聞いたの、あんたが『アサシン』だってこと」 ルイズがそう言うと、エツィオは天井を見上げたまま、厳かに口を開いた。 「……アウディトーレ家は銀行家だった、っていうのは話したよな」 「うん」 「それは本当だ、事実、俺は父上の後を継ぐべく勉強してたよ、あまり真面目じゃなかったけどな」 エツィオは小さく笑う。しかし、すぐに真面目な顔になった。 「銀行家、俺もそう思っていた。だけど、それはあくまで表の顔だった。アウディトーレ家には、もう一つ、隠された裏の顔があったんだ」 「それって……」 「そう、フィレンツェにとって脅威となる存在を排除する、――『アサシン』。要はフィレンツェの暗部さ。 祖先がそうであったように、父上もまた、アサシンだった」 『アサシン』の家系……、あらかじめオスマン氏から聞いていたとはいえ、 本人の口から言われると、やはり重みが違う。改めて真実を突きつけられた気分になり、ルイズは思わず息をのんだ。 「俺がそのことを知ったのは二年前、フィレンツェを追放され、伯父上のところに匿われた時だった」 「追放……?」 「そう言えば前にも聞かれたな、何故貴族の地位を剥奪されたか……」 「あ……、い、言いたくないなら別に言わなくてもっ!」 「いや、聞いてくれ、いつかは言わなきゃならないことだ」 ルイズは慌ててエツィオを止めようとする。 だがエツィオはゆっくりと首を横に振り、口を開いた。 「……罪状は国家反逆罪、もちろん濡れ衣だ。父上は、アウディトーレ家はハメられたんだ、奴らに」 「奴ら?」 「テンプル騎士団。世界の支配を目論み、陰謀を企てている連中だ。 俺達アサシンと数百年にもわたって戦い続けている、それこそ因縁の相手ってやつだよ」 きみとキュルケの因縁には負けるかもしれないけどな。とエツィオは笑って付け足す。 だがそれは、我ながらあまりに笑えない冗談であることにすぐに気づいた。 すまない……。と小さく呟き、話を続けた。 「……二年前、父上はとある事件を調査していた。ミラノ公国、そこを治める大公が暗殺された事件があった。 その事件が起こるより前、暗殺計画を事前に察知していた父上は、それを阻止すべく動いていた。しかしそれは叶わず、大公は暗殺されてしまったんだ。 表は反乱分子による暴発、そう言うことになっている。しかし、その裏ではフィレンツェの支配を巡るテンプル騎士の陰謀が隠されている事に気が付いた父上は、 騎士団からフィレンツェを守る為に調査に乗り出した」 ルイズは固唾を呑んで、エツィオを見つめた。 天井を見つめるエツィオの横顔からは、先ほどまでの陽気な青年の面影は掻き消えていた。 ぞっとするほど冷たい表情、おそらくは、これこそが『アサシン』、エツィオ・アウディトーレの素顔なのかもしれない、とルイズは思った。 「父上は事件に関わった者たちを狩り出し、始末した。だけど、悔しいが奴らの方が一枚上手だった、 父上はその事件の真相に至る前に、その事件の濡れ衣そのものを着せられ警備隊に兄弟共々捕らえられてしまったんだ。 運よくそれを免れていた俺は、父上が掴んだ陰謀の証拠を手に、父上の親友でもある判事の家へと走った、それが皆を救うものと信じてね」 「……」 「判事は言った、この証拠を翌日の裁判で提出すれば父上への嫌疑は晴れ、必ず助かると、それを聞いて俺は心から安堵した、これで元の生活に戻れるってね」 「それで、どうなったの……?」 ルイズは恐る恐る尋ねる。 エツィオは目を細め、苦しそうな表情を作った。 「……次の日、俺は裁判が開かれているシニョーリアの広場まで走った、今頃父上の無罪が証明され釈放されるところなのだろうと。だが……違った……。 そこで見たものは……絞首台にかけられる父上と兄上、そして……弟の姿だった」 「そんなっ! 証拠も提出したのにどうして!」 「簡単なことさ、判事が裏切ったんだ、判事もあいつらの仲間だった……そして俺が見ている目の前で……父上達はっ……!」 「エツィオ……」 唇を噛みしめ、怒りに満ちた声で吐き捨てる。 普段の彼からは想像もできないほど声を荒げ、感情を露わにするエツィオに、ルイズは言葉を失ってしまう。 いつもの冗談と思いたかった、しかし、それにしてはタチが悪すぎる。 「俺はシニョーリアの刑場から必死で逃げた、吊るされた家族を見捨てて。あの姿は今でも忘れられない……忘れてはならない……」 掌で顔を覆い、エツィオが呻くように呟く。怒りと悲しみ、そして悔恨がないまぜになった、苦悶の表情。 そんな自分を呆然と見つめるルイズに気が付いたのか、エツィオは小さく息を吐き、目を閉じる。 ルイズは思わず言葉を失ってしまった。 いつも陽気で不敵なエツィオとは思えないほど、弱弱しい表情。 この男が、こんな表情をするとは夢にも思わなかったのだ。 唖然としたままのルイズをよそに、エツィオは淡々とした口調で、言葉を続けた。 「全てを失った俺は、残された妹と心を壊した母上を連れ、伯父上の下に逃げ込んだ。そこで俺はアウディトーレ家の歴史とテンプル騎士団との宿縁を知った。 俺は父上の後を継ぎ、奴らに復讐を誓った。父上の死に関わった者共を全員狩り出し、一人残らず地獄に送ると」 復讐、その言葉にルイズははっとする。 いつか、アルビオンへ向かう船の上で聞いた、エツィオがイタリアに戻らねばならない理由。 エツィオの戦いは、まだ終わってはいないのだ。 「その、裏切り者の判事は……?」 「……殺したよ、この手でね。奴を前にした時、怒りで目の前が真っ赤に染まった……、 気が付いた時には、俺は判事の腹を貫き、切り裂いていた……、何度も……何度も……」 エツィオは顔を覆っていた左手を掲げ、じっと見つめる。 「俺の手は、もう奴らの血で真っ赤だ……。俺はただ、平和に暮らしていたかっただけなのに。 兄上と一緒に馬鹿やったり、恋人と愛し合ったり……、ただ自由に、普通に暮らしていたかっただけなのに……」 不意に、エツィオが首を傾げ、ルイズを見つめる。 そのエツィオの顔をみたルイズはぎょっとした。 エツィオの双眸から、一筋の涙が流れている。泣いているのだ。 唖然とするルイズの前で、エツィオは表情を歪ませながら震える声で呟いた。 「もう……もう何も戻らない。父上も、兄上も、弟も……。……どうして、どうしてこうなったんだ?」 それは、家族を失ってから、誰にも明かすことのなかった、胸の内の苦しみ、悲しみ、悔恨。 それら全ての感情を全部、ルイズに打ち明けるように、エツィオは心情を告白する。 使い魔の語る、想像を絶するほどの、悲惨な過去。陽気さの裏に隠された、悲壮な覚悟。 ルイズは思わず、涙を流すエツィオを掻き抱いていた。 いつか、ニューカッスルの廊下で、エツィオが泣きじゃくる自分にそうしてくれたように、今度は自分がエツィオを支える番だと思ったのだ。 「父上……、兄さん……、ペトルチオ……、ごめん……。ごめん……俺は……!」 エツィオの双眸から、堰を切ったように涙があふれ出す。 気が付けば、ルイズも涙を流していた。彼の境遇に同情したわけではない。同情など、軽々しく出来るはずもない。だが、不思議と涙があふれてきたのだ。 しばらくの間、ルイズの胸に顔を埋め、静かに涙を流していたエツィオだったが、やがて離れると、涙を拭いた。 「……カッコ悪いところを見せたな……でもお陰で楽になった」 「エツィオ……」 「俺の弱い心は、ここに置いて行く。もう泣き言は無しだ」 そう言ったエツィオの表情は、いつもの笑顔が戻っていた。 強い意思を感じさせる瞳に、余裕と自信に満ちた不敵な笑顔。 ルイズの目じりに溜まった涙を指先で拭ってやりながら、エツィオは微笑む。 「……酷い顔だ、きみに涙は似合わないな」 「あっ、あんたのせいよ! あんたがあんな話を――」 「ありがとう、最後まで聞いてくれて」 「っ……!」 エツィオにそう言われ、ルイズは何も返せなくなってしまう。 もにょもにょと口を動かすルイズにエツィオはにやっと笑って見せた。 「それに、貴重な体験もできたしな。ああルイズ、出来ればもう一回……んがっ!」 そう言いながら顔を近付けてきたエツィオの鼻っ柱にルイズの拳が叩きこまれた。 「ちょっ、調子に乗るなっ! このエロ犬!」 「わ、悪かった! 悪かったよ!」 ルイズは羞恥に顔を真っ赤にしながら、枕でぼこぼことエツィオを叩いた。 エツィオは笑いながらルイズにされるがままになっている。その様子は、はたから見るとまるでじゃれあっているようだ。 一しきりそうやってエツィオを叩いていたルイズは、荒い息を吐きながら、ごそごそと布団の中に潜り込んだ。 「次やろうとしたら、もう一回殴るわよ」 「はいはい……でも殴られるで済むならもう一回くらい……あ、いや! なんでもない!」 再び握りこぶしを作ったルイズに、エツィオは慌てて口を噤む。 調子いいんだから……。と、恨めしそうに見つめてくるルイズに、エツィオは小さく微笑み、ぽつりと呟いた。 「……もしかしたら俺は、ただ怖かっただけなのかもしれないな……、いや、やっぱり怖かったんだろうな」 「なんのこと?」 神妙な面持ちで呟くエツィオに、ルイズは首を傾げる。 「身分を明かせなかった事さ。きみに拒絶されるのが怖かった、だから明かせなかった」 「そ、そんなこと……するわけないじゃない」 ルイズがぽつりと呟く。 僅かに顔を赤くし、上目遣いにエツィオを見つめながら、言いにくそうに言った。 「だ、だって、あんたはわたしの使い魔だし……、それに……」 「それに?」 「な、なんでもないわよ!」 ぷい、と顔をそむけてしまったルイズを見て、素直じゃないな……。エツィオは苦笑する。 まぁそこがかわいいんだが……。と内心ほくそ笑んでいると、どうやらその笑みは表に出てしまっていたらしい。 ルイズは再びエツィオに恨めしげな視線を向けていた。 「なに笑ってんのよ……」 「あ、いや、安心したらつい……な」 また殴られてはたまらないと、エツィオは誤魔化す様に笑って見せた。 そんなエツィオを見つめていたルイズであったが、ややあって、ちょっと真面目な表情で呟いた。 「……どうして」 「ん?」 「どうしてあんたは、わたしにそこまでしてくれるの?」 「さて、なんでだと思う?」 「からかわないで。……わたしが魔法を使えないの、知っているでしょ? いつもいつも失敗ばかりで……、こんなダメなわたしに、どうしてあんたはそこまでしてくれるの?」 ルイズは口をへの字に曲げながらエツィオに尋ねた。 エツィオは、凄腕のアサシンであることを差っ引いても、とにかく有能な男だということを、ルイズは嫌というほど実感していた。 何をやらせてもそつなくこなし、マナーも礼節も完璧。魔法が使えないという点を除くと、およそ貴族に求められる物全てを兼ね備えていると言っても過言ではなかった。 アルビオンで、ウェールズ殿下がいたく気に入っていたところを見るに、是非とも彼を配下に欲しいと思う貴族は数多くいるだろう。 そんな彼が、何故ゼロと呼ばれ続ける自分の傍にいてくれるのか、疑問に思ったのだ。 「あのワルドが言ってたわ、あんたは伝説の使い魔だって。あんたの手の甲に現れたのは『ガンダールヴ』の印だって」 「……らしいな、デルフもそう言ってる。あいつは昔、その『ガンダールヴ』に握られていたそうだ」 「それってほんと?」 「さてね、なにしろデルフの言うことだからな」 エツィオはちらと部屋の隅に置かれたデルフリンガーを見つめる。 聞こえているぞ、とでも言いたいのか、ぷるぷると震えていた。 「でもまぁ、本当なんだろうな、実際このルーンにも、デルフにも助けられた」 「だったら、どうしてわたしは魔法ができないの? あんたが伝説の使い魔なのに、どうしてわたしはゼロのルイズなのかしら。いやだわ」 「きみは伝説と呼ばれるような、そんな偉大な存在になりたいのか?」 エツィオが問うと、ルイズは首を横に振って見せた。 「違うわ、わたしは立派なメイジになりたいだけ。別に、そんな強力なメイジになりたいとかそういうのじゃないの。 ただ、呪文を使いこなせるようになりたいだけなの。得意な系統もわからない、どんな呪文を唱えても失敗なんてイヤ」 心情を吐露するルイズに、エツィオはただ黙って聞いた。 「小さいころから、ずっとダメだって言われ続けてた。お父さまも、お母さまも、わたしには何も期待していない。 クラスメイトにもバカにされて、ゼロゼロって言われて……。わたし、本当に才能ないんだわ。 得意な系統なんて、存在しないんだわ、魔法を唱えてもなんだかぎこちないの。自分でわかってるの。 先生やお母さまやお姉さまが言ってた。得意な系統の呪文を唱えると、体の中に何かが生まれて、それが体の中を循環する感じがするんだって。 それはリズムになって、そのリズムが最高潮に達した時、呪文は完成するんだって、そんな事、一度もないもの」 ルイズの声が小さくなった。 「そんなダメなわたしなのに……どうして?」 落ち込んだ様子でルイズが尋ねると、エツィオは澄ました表情であっさりと答えた。 「きみの事が好きだからさ」 「は、はあ!?」 あまりに唐突に、しかも真顔でそう答えられ、ルイズの顔がずどん、と火を噴いたように赤くなった。 暗闇の中でもわかるくらいに顔を真っ赤にし、滑稽なほどルイズは慌てふためいている。 「すすす、好き、好きって! どど、どういう……!」 「言葉の通りさ、俺はきみを気に入ってるんだ」 「こ、こんな時に冗談はやめてよ! ばっ、ばっかじゃないの!」 そんなルイズの反応を愉しむかのように、エツィオは意地悪な笑みを浮かべる。 ルイズが反応に困っていると、すっと、エツィオの手が伸びる、そしてルイズの顎を持つと、優しく自分の方へと向けた。 「ルイズ」 「なっ! なに……よ……」 「俺はいつだって、きみの味方だ」 その言葉に、ルイズはビクンっと身体を震わせ、エツィオを見つめた。 「きみが信念を捨てない限り、俺は喜んできみの力になる」 「えっ……あ……」 「俺は決してきみを見捨てないし、裏切らない。苦難あれば共に乗り越え、道誤ればそれを正そう」 ルイズの頬を優しく撫でながら、エツィオは誓いを立てるように、呟いた。 「きみに二度と、辛い思いをさせるものか……」 いつにないエツィオの真剣な眼差し、憂いを含んだ情熱的な囁きに、ルイズの心臓が、狂ったように警鐘を鳴らす。 いつかの、ラ・ロシェールで掛けられたワルドの言葉とは、まるで比べ物にならないほどの熱量を秘めた情熱的な甘い言葉。 それはまるで麻酔の様に、ルイズの頭の芯を、じんわりと痺れさせた。気が付けば、ルイズはエツィオから目が離せなくなっていた。 本当は気恥ずかしくて、エツィオの顔なんてまともに見れたものじゃない、だけど一時も目を離したくない。そんな気持ちがルイズの中でせめぎ合っていた。 「それに……」 そんなルイズを知ってか知らずか、エツィオはぽんと、ルイズの肩を叩いた。 「今は魔法が出来なくても、人は決して負けるように出来てはいない。今の境遇に、死ぬまで甘んじなければならないという法はないさ」 力強いエツィオの言葉に、ルイズは胸が熱くなるのを感じる。ちょっと涙まで出てきた。 それを隠すためにルイズは、エツィオの手を慌てたように振り払うと、毛布をひっかぶり、エツィオに背を向けた。 「す、すす、好きとか、な、なな、何言ってるのよ! も、もう!」 「おや? これじゃ不服かな? 困ったな、他に理由が見当たらない」 「ば、ばかなこと言わないで! この話はもうおしまい!」 ルイズは気恥ずかしさを隠すかのように、無理やり話を中断させる。 それから仰向けになると、毛布から顔を出し、ちらとエツィオを横目で見つめた。 「で、でも、お礼はいわなきゃね。……あ、ありがとう……」 消え入りそうなほど、小さな声でそう言うと、ルイズは目を瞑ってしまった。 礼を言われるとは思っていなかったのか、エツィオは少し驚いたようにルイズを見つめた。 「なに、気にすることはないさ、俺が好きでやってること……っと」 ニィっと笑みを浮かべ、ルイズの顔を覗き込む。 そこでエツィオは言葉を切った。どうやらルイズはそのまま寝入ってしまったらしい。なんともまぁ、寝付きのいいことだ。 僅かに首を傾げ、あどけない寝顔を見せている。 手は軽く握られ、桃色がかったブロンドの髪が月明かりに溶け、キラキラと輝いている。 うっすらと、開いた小さな桃色の唇の隙間から、寝息が漏れていた。 「くー……」 エツィオはルイズの寝顔を見つめ、優しい笑みを浮かべると、ルイズの唇に自分の唇を重ね合わせた。 「……おやすみ、ルイズ」 唇を離し、エツィオは小さく囁きながら、ルイズの頭を撫でる。 それからエツィオも仰向けになると、目を瞑り、眠りの世界へと落ちて行った。 寝たふりをしていたルイズは、エツィオの寝息が聞こえてきた瞬間、がばっと跳ね起きた。 キス、された。 思わず唇を指でなぞる、心臓が狂ったように早鐘を打っている、顔はもう真っ赤っかだ。 おそるおそる、隣で眠るエツィオに視線を送る。もしかしたら、こいつは自分と同じように寝たフリをしていて、 あのからかうような笑みを浮かべるのではないかと、気が気ではなかったが……。どうやら本当に眠っているらしい。 「寝てる……」と、ルイズは少し安心したかのように呟いた。 ルイズは枕をぎゅっと抱きしめて、唇を噛んだ。 意味分かんない、何を考えているのか、さっぱりわからない。 ルイズは胸に手を置いた、やっぱり、そばにいると胸が高鳴る。 となると、この前、確かめたいと思った気持ちは本物なのだろうか? 同じベッドで眠ることを許したのは、今まで離れ離れになっていたのが寂しかったから……、というわけではない。 そう、アルビオンに残ってまで、自分に対する脅威を人知れず排除していた使い魔の献身へのご褒美のつもり……。でも、それだけじゃない。 異性に対するこんな気持ちは初めてで、ルイズはどうしていいかわからなかったのだ。 着替えそのものをエツィオに見せなくなったのはそのせいだ。意識したら、急に肌を見せるのが恥ずかしくなった。 ほんとだったら、寝起きの顔すら見せたくない。 いつごろから、エツィオにこんな気持ちを抱くようになったのだろう? エツィオは本当に自分に好意を寄せてくれているのだろうか? キスしてきたのだから、やっぱりそうよね。……正直に言うと、エツィオに『好き』とはっきり言われ、嬉しかった。 しかし、同時にみんなに言ってるんじゃないの? いや、絶対言ってるだろ。という確信にも似た疑念を生んだ。 なにせギーシュがかわいく思えるくらいの女たらしである。それに先ほどのキス、初心なルイズにでもわかる、あれはもう慣れてるキスだ。 やっぱり、他の女の子にもしていることなのだろうか? 怒りと喜び、二つの感情がルイズの胸の中でごちゃ混ぜになる。 あの言葉は、先ほどのキスは、本心からでたものなのだろうか? それが知りたい。 ルイズは、自分でもなんだかよくわからなくなって、う~~っと唸って、エツィオを枕で叩いた。起きない。 その時だった。その様子を黙って見ていたデルフリンガーが不意に口を開いた。 「寝かせてやれ、相棒はこれまでロクに寝てないんだ」 「っ! あ、あんた、見てたの!」 思わぬところから声をかけられ、ルイズは思わず叫んだ。それから慌てて口を閉じる、今のでエツィオが起きたらどうしようと思ったのだ。 だが幸いなことに、エツィオは起きる様子もなく、安らかに寝息を立てている。 そんな二人を見て、デルフリンガーは呆れたような口調で言った。 「俺はお前らが何しようと知ったこっちゃないね、何せ剣だからな」 「じゃ、じゃあ口出ししないでよ、それに、この事はエツィオにはぜーったい言わないでよ!」 「言わねぇよ……。それに娘っ子、お前さんはしらないだろうが、相棒はいつも、娘っ子が寝付くまで眠らないんだ。それがこれだ、よほど疲れてたんだろうな」 そのデルフリンガーの言葉を聞いて、ルイズはぐっと顔をしかめ、エツィオを見つめた。 ああもう、エツィオのこういうとこ、ホントムカツク。なによなによ、カッコつけちゃって……これじゃ、文句のつけどころがないじゃない。 ルイズは口の中で小さく呟くと、デルフリンガーをきっと見つめ、「誰にも言わないでよ……」と釘を差した。 それからルイズは、思い切ってエツィオの顔に自分の顔を近付けた。 鼓動のリズムが、さらに速度を増してゆく。そっと、エツィオの唇に、自分のそれを重ね合わせる。 ほんの二秒、触れるか触れないかのキス。エツィオは寝がえりをうった。 ルイズは慌てて顔を離し、ばっと毛布の中に飛び込んで枕を抱きしめた。 なにやってるのかしら、わたし。使い魔相手に。 バカじゃないかしら、どうかしてるわ。 寝ているエツィオの顔を見た。 控えめに見ても、エツィオは世に言う美形と呼ばれる部類の人間だ。その上、誰より知的で紳士的、どんなことでもさらりとこなし、常に余裕の笑顔を絶やさない。 フィレンツェという所から来た、普段はおちゃらけた陽気な青年。だがその実体は、アルビオン全土を震えあがらせる超凄腕のアサシン。そしてルイズの使い魔、伝説の使い魔……。 どうなんだろう、やっぱり、好きなのかな。これって好きなのかしら? 心の中でそう呟きながら、ルイズはそっと唇をなぞった。そこだけ、熱した鉄に押し当てたように熱い。 どうすれば、この答えは得られるのだろう。 結局分からなくなって……、いやだわ、もう……と呟いて、ルイズは目を瞑る。 今夜は……なかなか寝付けそうになかった。 前ページ次ページSERVANT S CREED 0 ―Lost sequence―
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前ページ次ページ使い魔エイト *サモン・サーヴァントだいせいこう! 使い魔召喚の儀式。 色々考えた末、コルベールは『ゼロのルイズ』の二つ名を持つ少女を一番最初にやらせた。 魔法成功率ゼロという偉業(?)をかんがみて、最後にやらせるという方法も考えないでもなかったが……。 ここ大一番の舞台というプレッシャーをかけることで、一発成功するかもしれないとも考えたのだ。 で、その結果。 「……」 自分の召喚したものに、ルイズは言葉を失っていた。 はたで見ていたコルベールも、他の生徒たちも。 それはドラゴンやグリフォンではなもちろんなく、サラマンダーとかバグベアでもない。また、カエルやネズミ、モグラでもなかった。 ましてや、どこか異世界からやってきたルイズと同年代の平民の少年でもない。 一言で言うならば、ひとかかえもあるような、四角い箱である。 そのように、ルイズたちは認識した。 けれども、もしもここにどこか異世界からやってきたルイズと同年代の平民の少年なんかがいたら、間違いなくこう思ったに違いない。 でっかいルービックキューブだ――と。 カラフルな部位で構成されたその箱は、ふよふよと宙に浮いていた。 「あ、あの……」 ルイズはぎぎぎと音を立てながら、救いを求めるようにコルベールを見る。 「おほん……。無生物が召喚されたというのは前代未聞ですが……。一応召喚成功と見てよいでしょう……。さ、ミス・ヴァリエール、使い魔と契約を――」 「で、でも……」 あれ、箱ですよ? と、泣きそうな顔でルイズは口ごもる。 「さすがゼロのルイズ、期待を裏切らない!」 「でっけえ、箱だな! 何が入ってるんだ?」 「まさか、人間の死体とか入ってないでしょうね?」 「じゃ、あれ棺おけかよ!?」 野次に対し、ルイズは反論する気力もなかった。 絶望を噛み締めながら、ルイズはふらふらと箱に近づいていく。 箱。でっかい箱。ふよふよ浮いてる箱。 それが自分の使い魔。 実家になんて言おう。 箱――これ、本当に箱か? 何か浮いているし……。もしかすると、何かのマジックアイテムかもしれない。 そんな微かな希望をこめて、ルイズは箱に触れた。 がちゃり……と、力のこめ具合のせいか、箱の一部が動いた。 これは――がちゃり、ルイズはさらに動かしてみる。 もしかすると、これ……普通じゃ開かない? そう思いつつ、動かし続ける。 後ろでは他の生徒たちがどんどん召喚を成功させているが、ルイズはだんだんと箱に熱中し始めていた。 そして、あることを推測する。 これって、箱のそれぞれの面を同じ色で統一させるんじゃあ? 統一させたら、どうなる? マジックアイテムという言葉が頭をよぎる。 そうだ、普通こんな浮いてる箱なんてありえない。すごく貴重なものを、この中に隠しているのでは!? きゅぴーん! ルイズの中で、希望の光が輝いた。 そして、ルイズは箱を――いやいや、ルービックキューブを動かす! 動かす! 動かす! ……いくばくかの時間経過。 他の生徒たちはというと、みんなどんどん使い魔を召喚して、とうとう最後の一人が召喚を終えていた。 「ミス・ヴァリエール……コントラクト・サーヴァントは終わりましたか?」 そうコルベールが声をかけたのと、ルイズが『パズル』を完成させたのは、ほとんど同時だった。 ヴオオオオオオオオ……! 箱が輝き、不気味な音が鳴り響く。 「これは……」 コルベールが自分の杖を握り締めた時、 <パスワード確認、パスワード確認> 「「しゃべったあ!?」」 ルイズとコルベールがハモる。 ガパア! 箱が突如として、分解した。 中から出てきたのは、人形……いや、人間の少年である。 年はまずルイズよりも下と見てよい。 少年の着ている奇妙な衣服――肩パット、手甲部、靴、そして後頭部に伸びるように立っている髪を結んだ球状のもの――にそれぞれ、触手のようなものが接続されていた。 前髪の部分と、後ろの球状のものに、8のマークが見える。 <ガーディアン・エイト、起動します> 声と同時に、それらは少年から切り離される。 そして、少年は――倒れた。 「ちょ……!」 とっさに駆け寄るルイズは、箱の残骸がすーっと消えていくのを見逃したが、コルベールはこれをしっかりと見ていた。 人形? ゴーレム? それとも、人間が何かの魔法であの箱に閉じ込められていたのか? ルイズは少年に駆け寄り、固まった。 「くかー、くかー……」 少年はただ寝ているだけだ。 「……この」 平和そうなその顔に、ルイズはちょっとムカムカした。 「ちょっと、あんた! 起きなさい!」 怒鳴りつけてみたが、一向に起きない。 ――もしかして……箱じゃなくて、この子が私の使い魔? 何ともいいがたい気分になる。 ――で、でも、でも! あんな風に箱に入ってたってことは……もしかすると、何かすごい力とかがあるのかもしれないわ! うん、そうよ! 多分……きっと、そうなんなじゃないかな? できればそうあってほしいな…………。 てな、葛藤をしつつ―― 「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。 五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我が使い魔となせ――」 そっと、ルイズは少年にキスをした。 寝ている少年の左手に、使い魔のルーンが刻み込まれていく。 すると、髪の毛の球から、声がした。 <マスターの設定を変更します、マスターの設定を変更します…………。…………変更は無事終了しました> 「な?!」 その途端、ぐおんと少年が起き上がった。 少年はじーっと、ルイズを見つめる。 「な、なによ……」 「ごっつあんです!!」 バッと左手の手のひらを突き出すように、少年は珍妙な挨拶をした。 「……あ、あんた、誰?」 「エイト」 「エイト……? ふーん、そういう名前なんだ? で、あんた何であんな箱に入ってたの?」 「えーとね……」 「うん」 「わかんない」 「……あ、あんたね……?」 ルイズは頭をかかえたがすぐに気を取り直し、 「……もういいわ! とにかく、あんたは今日から私の使い魔よ!」 「わかった。おまえのつかいまになる!」 エイトは元気よく応える。 「や、やけに素直ね? ……って、お前ってなによ!? 使い魔のくせに、ご主人様と言いなさい!」 「ごしゅじんさま!」 「……わ、わかればいいのよ」 あまりにも素直なエイトの態度に、ルイズはちょっと調子を崩しながらも何とか平静を保つ。 横でコルベールがエイトのルーンを見て何か言ってたようだが、そのへんは聞き逃してしまった。 ルイズはおかしな少年・エイトを自分の部屋へと連れてきていた。 「まず、使い魔の仕事について説明するから、ようく聞くのよ?」 「ようくきく。はやくおしえろ」 素直な返事をするエイトに、ルイズは困ったような顔で嘆息した。 ――この子、本当に大丈夫なのかしら? もやもやとした不安を感じずにはいられなかった。 たとえ人間であろうが、使い魔として召喚した以上、メイジに服従するのは当然。 ましてや平民ならばなおさらだ。 それがルイズの認識である。 ならば、相手のこちらの言うことに従うのしごく当たり前で、戸惑うことなどありはしないのだが……。 その素直さゆえに、かえってルイズは戸惑っていた。 あまりにもこちらに従順すぎる。 言葉づかいや礼儀はアレだが、戸惑うとか、反抗するとか、そんなものが欠片も見えないのだ。 常ににこにこへらへらした表情で何を考えているのかわからないくせに、ルイズの言うことに恐ろしいほど忠実である。 だから、だろうか。 ルイズはこの少年の素性がひどく気になっていた。 これがもしも、どこか異世界からやってきたルイズと同年代の平民の少年とかだったりしたら、そんなもの考えずに、有無を言わさず服従をせまってであろうが。 道すがら、どっからきたのか? 親兄弟はいるのか? そんなことを尋ねてみたが、何を聞いても要領を得ない。 一応考える様子は見せるのだが、結局は、 「わかんない」 である。 ちょっと頭がおかしいのでは? と思ったりしたが、こっちの命令にはちゃんと従う。 ――まあ、反抗されるよりはいいか。 ルイズは不安を押しやりながら、ごほんと咳払いをする。 「まずはね……そう、使い魔は主人の目となり、耳となるの。つまり視覚や聴覚の共有………。無理みたいね」 エイトはぼへ~っとした顔で、ルイズを見ていたが―― 「めとなり、みみとなるってな~に?」 「わかんない? しょうがないわね……つまり、頭の見たり聞いたりしてるものが、私にも見えたり聞こえるようになることよ」 ルイズが答えると、 ピピピピ…………。 例の球からまた変な音がした。 「どうせできないんだから、いいんだけどね。……あのさ、ずっと気になってたんだけど、その髪の丸いの、なんな……」 言いかけた時、ルイズは違和感を感じた。 耳が、何か変だ。 さっき自分の言った言葉を、別の誰かが同時に言っていたような。 それに、目の奥に残像みたいに見える、このピンク頭の女はなんだ……? 「へ? これ……私?」 ルイズはハッとする。 感覚の共有ができている。 今、エイトの見聞きしているものが、ルイズにも伝わっているのだ。 「かんかくのきょ~ゆ~って、こういうの?」 と、エイトが聞いてきた。 「え、ええ。そうよ! なんだ、できるじゃない……! やっぱできるじゃない!」 ルイズは驚きながらも嬉しくなり、 「とりあえず、あんまり続けるのはアレだから、いったん切るとして……。次! 使い魔は主人の必要なものをとってくるの! 薬草とか、硫黄とか、秘薬の材料になるものを」 「やくそう? いおう? ひやく? ざいりょう?」 「……わからないわよね、あんた平民だし。それはいいわ。これはパスね。次が一番大事。主人を守ることよ!」 「ぼくは、ルイズをまもる!!」 エイトはうなずき、元気に返事をした。 「やる気はすごく感じるけど……」 今ひとつ頼りないわね……ま、しょうがないか。と、ルイズはため息をつく。 こんな子供に、護衛など期待できないだろう。 「後は……明日にしましょう。朝になったら起こして……それから」 ルイズは衣服を脱ぎ、エイトに放る。 「これ、洗濯しといて。そこの籠の服と一緒に……」 「せんたく?」 きょとんとした顔でエイトは動かない。 「……あんた、洗濯もわかんないの? 今までどんな生活してたのよ……。朝になったら、メイドにでもやり方教わりなさい」 「わかった。メイドにおそわる」 「なら……今日はもう休むわ。あんたは床よ」 ルイズは床を指差す。 「毛布くらいなら貸してあげ……って」 ルイズが毛布を持って声をかけた時には、エイトはひっくり返るようにして床に寝転がっていた。 すぴーすぴーと寝息をたてている。 「寝つきいいのね……?」 ルイズは呆然としながら、自分もベッドで眠りについた。 前ページ次ページ使い魔エイト
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前ページ次ページKNIGHT-ZERO カ マテ! カ マテ! カ オラ、カ オラ! テネイ テ タンガタ プッフル=フル ナア ネ イ ティキ マイ ファカ=フィティ テ ラ! ア ウパネ! ア フパネ! ア ウパネ! カ=ウパネ! フィティ テ ラ! ヒ! (訳) これは死だ。これは死だ。これは生だ。これは生だ。 この男が私を助けてくれた。一歩、一歩太陽に近づく マオリの民族舞踊"ハカ"より 白い国の短い初夏が終わり、消えぬ薄雲に包まれた空中大陸特有の霧雨が降り続くアルビオン ルイズとKITTはトリスティン統治下にあるアルビオン西部地方アイルランドの首都ベルファストに居た 情報将校 それがアンリエッタ女王により、アルビオン駐留軍に従軍するルイズに与えられた軍務と地位だった KITTのそれまでの稼動記憶を蓄積した人工知能は複雑な気持ちを有していた、ルイズが得たのは かつてのパートナーだったマイケルがROTC(大学予備役科)から入隊した米陸軍での兵科と同一のもの そしてマイケルは地獄のベトナム戦争で心と体に深い傷を負い、その傷が後の彼の運命を流転させた アルビオン駐留トリスティン王国軍の本拠として徴発されたユーロパ・ホテルの階段をルイズは降りていた この老朽ホテルをベルファストの最高級ホテルとして提供したアイルランドの連中もいい面の皮だが 最上階に篭ってこの国の特産であるウイスキーやサイコロゲームに興じる老貴族にもうんざりしていた 特務士官として駐留軍の大概の場所に出入りする特権を持ちながら、士官会議への出席義務の無い立場 着任報告以来久しぶりに来た統治軍最高司令部でも、ルイズは"ヴァリエール家のお嬢ちゃん"扱いだった ホテルの上階、ルイズにあてがわれた続き部屋のあるフロアを素通りして一階まで降り、正門から外に出た ルイズは自分のために手配されたホテル貴賓用のスイートルームを、荷物置き場にしか使っていなかった 灰色の空の下、ルイズはクロークに預けていた革ジャンのジッパーを締め、ポケットに手を突っ込み歩く 占領軍目当てにホテル前で店を出してる露店でワインやパイ、チーズ、ハム、お茶を買い、軍票で支払うと そのままホテルに引き返し、国風そのものの武骨な建物を回りこんで、裏手にある馬車溜りに向かった ずっと置きっぱなしになって朽ちかけている竜籠の影に霧雨に濡れた黒いボディが見える、赤い光の往復 CGとペジェ曲線が導入されるより前、デザイナーのフリーハンドによるボディデザインの最後の世代 デトロイト製の2ドアクーペが持つ官能的な姿に、ホテルの中からずっと仏頂面だったルイズの顔が綻ぶ ルイズは両手に紙袋を抱えたままKITTに音声指示で操縦席側のドアを開けさせ、その中に滑り込んだ 異国にあっても変わらぬルイズの我が家、慣れ親しんだタン色のバケットシートに沈み、操縦桿に触れる 待機状態だったV8水素核融合エンジンが始動し、腹ワタに染みわたる重低音がルイズを優しく包んだ 食料の詰まった袋を助手席に放り出し、両足をコントロールパネルの上に乗っけると、ルイズは息を吐いた 「なるほど、お父様があっさり許可するわけだわ、これじゃお空の上の大陸まで避暑に来たようなもんよ」 KITTのボイス・インジケーターが点滅して唇を形作り、ルイズの全身に心地よく触れる声が聞こえてきた 「ルイズ、何か新規の情報は収集しましたか?アンリエッタ様への定時報告の時間まであと15分ですが」 ルイズは紙袋の中身をを漁り、アルビオン貴族が好んで読む"新聞"の上に食料を広げながら返答した 「なぁ~んにも、何も無し、女王陛下に謹んでご報告します、本日の議題はこの国の酒と飯と女の味、と」 ワインの小瓶を取り出すと、安物ワインやエールでコルクの替わりに使われているゴム栓をひっこ抜いた 「付け加えることがあるとすれば、この国はジジィ貴族のいい廃兵院として機能してるって事ぐらいね」 ルイズは紙袋からパイを取り出し、革ジャンの内ポケットから革鞘に納まった小さなナイフを抜いた 古参兵によると従軍に一番必要なものは手ごろなナイフで、それは武器よりも生活道具として必須だという そのナイフはベルファストの古道具屋で買った物で、デルフリンガーとかいう大層な名前がついていた ルイズはシエスタが持たせてくれたクックベリー・ジャムの瓶詰めを開け、ナイフに山盛りにすると パイに塗りつけ始めた、ルイズの大好物のクックベリー・パイはホテル近くのパン屋にはなかった 店主に「兎のミートパイもキーライムのパイもあって、なんであんなに美味しい物が無いの?」と聞くと チェリーパイが自慢の店主は「なんであんな不味い物を置かなくちゃいけないんだ?」と聞き返してきた このクソ爺ィ、と思った、まぁごもっともだな、とも思った、とりあえず何も入ってないパイを買った 蜂蜜と果汁の入ったワインを学院の料理長から借りたクリスタル・グラスに注ぐと、一息に飲み干した 甘口ワインの弱いアルコールが胃を暖め、体をほぐす、ルイズがこの国に来て覚えた食欲増進の儀式 酔いで少し熱っぽくなったルイズはカーステレオをつけた、エンヤが故郷の神話世界をケルト語で唄う KITTが生まれ、かつて過ごした異世界にも存在するというアルビオンと、その国で生まれた歌 以前はあまり馴染まなかった優しい歌も、この地で聞くと悪くない、酔っ払って聞くともっといい ルイズは手製のクックベリーパイとナイフで削いだパンとハム、牛乳と砂糖の入ったお茶の食事を終えた 豚毛の筆型歯ブラシで歯を磨く、ルイズは他の多くのトリスティン人と同じく塩と灰で歯を磨いていたが アルビオン製のミント入り歯磨き粉は気に入った、不味いと言われたこの国の食事も、平民の軽食は旨い 水筒の水で口を漱いだ、ホテルで貰ったアルビオンの湧き水はトリスティンの硬水よりも口当たりがいい 歯磨き粉入りの水を石畳に吐いたルイズは、白い歯をデルフリンガーに映した、やはりナイフは役に立つ その後ルイズはアンリエッタに預けているKITTの通信装備、コミュニケーター・リンクを呼び出し 三時のお茶に合わせた定時報告を行った、今日も会話の内容は茶菓子を摘みながらのお喋りが殆どだった KITTが遠距離ソナーで傍聴し、要点を纏めて送信している定例会議の内容もさして中身の無い物だった 「ねぇKITT…このままわたし、アルビオンの名産を喰い散らかしながら従軍任務を終えるのかしら?」 茶菓子と新聞と衣類、そして酒瓶で散らかり、すっかり快適な住居となった車内にKITTの声が響く 「私にはそれが決して悪しきことではないと思います、あなたは最近よく動いた、静養が必要でしょう」 ボロ布でデルフリンガーを拭き、ジャムを丁寧に落としていたルイズは、鋼の輝きを見つめながら呟く 「…わたしね、思うの…動くわよ…この先、この国が、この空中大陸が…まるで嵐の中の船みたいに、ね」 ランチマット替わりの新聞には「ロンディニウムの修道院が積極的な救貧活動」の見出しが踊っていた 夕暮れ、ホテル裏に停めたKITTから出たルイズは、ぶらぶらと歩きながら表通りにある酒場に向かった 魅惑の妖精亭 駐留兵士の慰問のために運行される船に乗って、多くの商人が植民地で一旗揚げるべくこの国に来ていた その店は主に着飾った娘達が男性に酒と食事を出す店で、ルイズは最初、自分には無縁だと思っていたが 酒場での情報を目当てに入り、その料理のうまさに驚いたルイズは、以後の夕食を主にここで摂っていた 薄鉄の鍋に炎を上げながら料理する主人が出してくれる料理や「麺」とかいうパスタは刺激的な味がした 聞けば店主スカロンはタルブの出身で、シエスタの縁戚だそうだ、そのスカロンという男はシエスタとは 似ても似つかぬむさくるしい巨漢だったが、娘で店の看板のジェシカは確かに似てる、黒髪と生意気な胸 ジェシカはシエスタの父から聞いた、戦艦と竜騎兵に立ち向かいタルブを救った騎士の話をしてくれた ルイズが「それ私」と言うと、よほどウケたらしく桃りんごのシードルをむせさせながら大笑いしていた ルイズにはそれより、スカロン店長の人間離れした容姿のほうが印象的だった、とても筆舌に尽くせない 閉店の時間にルイズを迎えに来て彼と対面したKITTの最初の第一声は「うわっシッシッ!あっちにいけ!」 ジェシカや店の妖精達がKITTを見て「ガーゴイルの使い魔なんて、ヘンなの」と言う中、スカロン店長は 「82年式のトランザムね、これ、燃料噴射装置がすぐ壊れるのよ」とルイズに理解できない感想を述べた 「いらっしゃいませ~、お客様、パイプか葉巻は嗜まれますか?、ではこちらの喫煙席にどうぞ」 ルイズはKITTのボディのような深い漆黒のビスチェに身を包み、愛想よく貴族の客を案内していた 魅惑の妖精亭に通うようになって数日、スカロンの熱烈なスカウトを受けてこの店で働きはじめていた 初めの内は夕食が目的で、食事と食後のワインを楽しんだ後は、勘定と充分なチップを払い帰っていたが スカロン店長が作ったスロットとかいう異世界の博打に金を吸われ、ルイズの懐は早々に寂しくなった 慌ててアンリエッタに調査経費の追加送金を頼んだ所、偶然、公務でその場に居たのは母親のカリーヌ …「自分で何とかしなさい」… 通信は切られた、ルイズは通信機越しに母の鉄拳を恐れ震えあがった ホテルでルーム掃除をするか、銀行でも襲うかと考えた結果、ルイズは気心の知れた店で働くことにした 初めてのバイト経験、同年代に近い女店員(スカロンに言わせれば妖精たち)との話は弾むことが多かった ルイズは最初の内、豊満で色っぽい妖精達に気後れして、目立たぬ給仕と厨房の手伝いを希望していたが 学院制服のミニスカートで配膳をしている時に、何か勘違いした中年貴族に指名を受けたのをきっかけに すっかりルイズは店の妖精の一人として馴染んでしまっていた、チップの集まりは中の下くらいだった ルイズは「情報収集のため」と自分に言い訳をしていたが、実際は無為な宮仕えには無い刺激を求めていた 夜更け過ぎ スカロンによって閉店時刻と決められた"てっぺん"と呼ばれる日付の変わる時間に近くなった頃 客の酔いが進み、財布の紐が緩くなる店の稼ぎ時に、店内で酒場には付き物の騒動が起こった トリスティン駐留兵らしきゴツい男の一団が店の奥にあるテーブルを占め、辺り憚らぬ声で騒いでいた バーカウンターで静かに飲んでいたオークの商人が顔をしかめながら勘定とチップを支払い、店を去った 八分ほど入っていた客の内の何人かが、普段とは打って変わって騒がしい店内を嫌い、早々に引き上げる 客が食事を終えた後の酒の時間が妖精達の稼ぎ時、上客を追い出す迷惑な兵士達は、どうやら貴族らしい 酒の席では身分を忘れるという暗黙の了解によりマントを外して寛ぎの時間を楽しんでいる貴族達の中で 本国を追い出され占領地に流れてきたらしき貴族兵は、揃って軍の部隊章の入ったマントを羽織っていた 酒場のマナーも知らない田舎メイジ達は貴重な輸入ワインを次々と抜き、泥酔者特有の大声を上げている テーブルに並んだガリア・シャンパーニュ製のスパークリングワインの値段には不釣合いな粗末な軍服 飲み代を払う気があるかも怪しい、当時そういう下級の駐留兵により踏み倒しがあちこちで起きていた 統治国派遣兵の徴募に応じた貴族の中には、普段は山賊や盗賊で食っている無法者連中が少なからず居た 貴族兵の一人が杖を振り、テーブルについていたジェシカの緑色のビスチェの裾を風魔法でめくった ジェシカは田舎育ちのデカい声で罵ろうとしたが、啖呵を飲み込みながら愛想のいい笑顔を浮かべる やり取りを見ていた他の妖精達が顔を見合せる、ジェシカの翡翠像のような笑顔は初回だけの執行猶予で 懲りずに二度目の狼藉を働けば、即座に彼女の蹴りが無礼な客のコメカミに叩きこまれる事を知っていた 皆が困惑する中、バーカウンターでシェーカーを振っていたスカロンが尻を振りながら近づいてきた 異世界で「モンローウォーク」と呼ばれる歩行法を見た貴族達は、獣の威嚇を見た時のように身構える 「困りますわ~、あたしのお店では魔法はご法度よ、そんな怖い顔しないで楽しく飲みましょうよ~」 目の前に立ちふさがるマッチョなオカマの前に、体格にコンプレックスがあるらしき小男の貴族兵が立ち その背に不似合いな長槍型の杖を突き出すと、こちらはチビにお似合いな甲高い怒鳴り声を上げる 「おいバケモノみたいなオッサン、相手見て物を言えよ、俺達ぁ戦勝国トリスティン陸軍の伍長様だぜ」 スカロンが小男の大杖で突かれた、後ろにひっくり返った拍子に真っ赤なビスチェがまくれ上がる 彼が競走馬のような腿を晒しながら発した「いやぁ~ん!」という声に三人の貴族兵が揃って笑った 「魔法を喰らいたくなきゃ平民風情は引っ込んでろ、野蛮なアルビオン人を貴族様が教育して何が悪い」 目の前で父を突き飛ばされたジェシカは震えながら直立し、男達に向かって膝に額がつくほど頭を下げる 日本の営業マンのようなジェシカの深いお辞儀は、得意のハイキックに備えて腰を伸ばす準備運動だった 頭を下げるジェシカの姿を屈服と勘違いした肥満体の貴族兵が彼女に杖を向け、悪戯をしようとした ジェシカは頭を下げたまま上目遣いに「霞」と呼ばれるコメカミの急所を確認し、「覇~」と息を吐く 誰もが息を殺してやりとりを見守る、酒場に似合わぬ静寂が支配する中で、店の隅の席がガタっと鳴った 入り口脇の小卓で、指名がご無沙汰のため会計仕事をしていた黒いビスチェの少女が静かに立ち上がった ルイズの周りの空気が凶暴に歪む、鳶色の瞳はKITTの赤いフロント・スキャナーのように輝いていた 「この貴族の恥さらしが…いい加減にしないとあんたら…その髪の毛の一本も残さず…ゼロにするわよ…」 ルイズは一団の最古参らしき背の高い男の前に歩み寄り、自分の黒いビスチェの胸元を開いてみせた その中身、女性なら谷間があるであろう部分を上から見下ろしたメイジに「お、男…?」と言われた瞬間 この場を穏便に解決しようとする気持ちを思い切りよく捨て、襟裏に付けた金の延べ板を見せつけた 「その目ん玉が飾りでないならよ~くごらんなさい!我が名はルイズ・フランソワーズ・ド・ラ・ヴァリエール 特務情報士官として女王陛下より少尉待遇の地位を得ているわ、あんたらの親分やってる軍曹殿の上官よ」 ルイズがビスチェの襟裏につけていた近衛少尉の階級章を見た陸軍下士官の男達は、指差して笑い出した 「こちとら便衣兵や不正規兵を相手にしてんだ、そんなペテンに引っかかるかよ、貴族ごっこの平民女が」 占領地ではよくゲルマニア系の彫金屋が店を出していて、模造の勲章など駐留兵向けの土産物を売っていた ルイズは突き飛ばされた、張り手で突いただけとはいえ男の力、思わず呼吸が止まり、目の前に星が飛んだ 襟がめくれた拍子に見えた葡萄の葉のメダル、頼みもしないのに付けられたオマケを見て、男は鼻で笑う 「生意気にタルブ従軍章まで偽造しやがって、アルビオン騎兵と戦った勇士がこんな所に居るかってんだ」 初めて味わう男の暴力に、ちょっと前のルイズなら恐怖と動転で頭が真っ白になっていただろう ルイズは雲海の中を航行するクリッパー(快速帆船)の甲板で、所在なさげに舷側に寄りかかっていた トリスティンの軍港アムステルダムからアルビオンまでのKITTとの船旅、幸い船酔いとは無縁だったが KITTは現在、帆船の客室を二間ブチ抜いた臨時の車庫で、厳重な警備兵の監視の下で保管されている 特務士官ルイズもまたアンリエッタの命令により客船並の船室を与えられ、快適な船旅を過ごしていた 船上でKITTに乗る事は許されていなかった、船の王といわれるボースン(甲板長)には逆らえない その空族上がりのボースンははどこかで、この使い魔がアルビオンの戦艦を破壊した事を聞いたんだろう タルブ村侵攻の後、座礁した戦艦レキシントンは砲や風石機関をアルビオンの戦後処理官が持ち去った後 村からの再三の撤去要請にも関わらず放置された、シエスタの父はサルベージの困難な大型戦艦の解体を ルイズに依頼し、喜んで引受けたルイズは戦艦にKITTを突っ込ませて5分少々で薪の山にしてしまった ルイズは上空の冷気に身を震わせ、シエスタから借りた革ジャンを着込むと、暇に任せて甲板を歩き始めた 高度3000メイルまでの上昇航路に乗った風石帆船は、出航直後の忙しい動索操作が終わったらしく マスト上の見張り台に立つ船員を残して、残りは船乗りにとって値千金の睡眠時間を過ごしている様子 ルイズは甲板を走り始めた、陸と空の長旅で日課のジョギングも疎遠になり、体は運動不足を訴えていた 揺れる甲板でのジョギング、足首の柔軟さを求められるランニングにもすぐに慣れ、規則的に走るルイズ 後ろから、同じくリズミカルながらテンポの速い足音が近づいてくる、濃い霧の中で姿はよく見えない ルイズはフットボール選手のように後ろ向きに走りながら、足音と軽甲冑の発てる金属音の正体を探った 走ってくるのは一人の騎士であることを知った、髪の短い若い女、シュヴァリエになって日が浅いらしい ルイズはジョギング仲間が出来たと思い、手を振って挨拶をしようとした、向こうも手を振っている その騎士の振られた手には、長く鋭い剣が握られていた、サーベルはルイズに向かって斬りかかってくる 濃霧の船上で、ルイズはサーベルを振り回す狂戦士から逃げ回った、剣先が掠り、肌に冷たい感触を残す ルイズは無言で剣を撃ち込む女騎士から必死で逃げたが、上空の薄い空気に息が切れ、甲板に倒れこんだ ルイズの鼻先にサーベルが突きつけられ、続いて鉄甲の入った靴で腹をめがけて蹴りが飛んでくる 「わたしは銃士隊のアニエス・ド・ミラン曹長だ、貴様がルイズ・フランソワーズ・ド・ラ・ヴァリエールか アンリエッタ女王より貴様の鍛錬を受け持った、さぁ立てルイズ、まずは走れ、倒れるまで走るんだ」 ルイズはアニエスのヤクザ蹴りを転がって避けながら、主人の危機にKITTが助けに来ない訳を知った 「新米シュヴァリエが何呼び捨てにしてんのよ!わたしはヴァリエール家三女、姫様直属の特務少尉よ!」 甲板を転がりながらルイズは威勢だけはよく怒鳴ったが、アニエスは潰す前の虫を見るような目で見下げた 「陸に下りたら少尉とも閣下とも何なりと呼ぼう、しかしこの船に居る限り貴様は只のルイズだ、いいな?」 ルイズの反論はアニエスに尻を蹴られた拍子に出た「ひゃっ!」という情けない悲鳴にしかならなかった ルイズは甲板で腕立て伏せをしていた、汗まみれで上空の冷気を感じなくなる、薄い空気で息が切れた 「一体…何をやらせようってのよ…わたしは護身術を習ってるんで…力自慢にろうってんじゃないのよ」 胸が床につくまで身を沈める、ルイズは胸と床の距離の関係で他の女性より少々余分に苦労させられた 「貴様ら貴族士官は揃ってシャバではろくでもない暮らしをしてた奴ばかりだ、まずその鈍った体を オーバーホールしないと使い物にならん、…それからこの船の上で、私に疑問を持つことは許さん」 船旅は退屈とは程遠い物になった、日中は過酷な筋力鍛錬で絞り尽くされ、大味な船員飯がうまかった 夕暮れ後、ルイズはフラフラになりながらも、船室に戻らず船の先端近くにある錨鎖庫に入り込んだ 「…KITT…ねぇKITT……起きてる?わたしよ…今日も…寝るまで…お話、しよう…」 ルイズは舫綱に座り込みながら壁に向かって話しかけた、KITTの船室と隣り合った、ルイズの秘密の場所 日中の鍛錬を開放された後のKITTとの夜のお喋りは、ルイズにとっての唯一の安らぎの時間だった 「ルイズ、彼女はかなりのサディストですよ、私の世界で彼女に並ぶのは声優の風音嬢ぐらいでしょう」 「わたしあ~いうドSな女が一番苦手だわ、ほらわたしってKITTの扱いといい、かなりのMじゃない?」 KITTの船室の中で何かドンガラガッシャ~ン!という音がした、反論を考えすぎてエラーを起こしたらしい 船上での鍛錬はその時間の殆どを体力作りと走りこみに費やされ、護身術は最後にほんの少しやっただけ 単調な鍛錬の中で突然、アニエスが蹴りや木鞘での一撃を喰らわせる事もあり、気の休まる暇も無かった 数日の船旅の後、ルイズの乗った帆船はアルビオン南西部、統治軍共同の軍港グラスゴーに接岸した 桟橋にKITTを降ろす作業に立ち会うルイズの元にアニエスがやってきた、いつも通りの傲岸な目つき ルイズがKITTと共にアルビオン本土に降り立った途端、アニエスは鞭打たれたような直立不動で敬礼した」 「トリスティン王宮直属特務情報士官ルイズ・フランソワーズ・ド・ブラン・ド・ラ・ヴァリエー少尉殿 任務の成功と無事の帰還をお祈りします、並びに、艦内での不敬な言動を深くお詫びいたします」 ルイズは学院で従軍経験者のギトー先生から少し習った不慣れな答礼をする替わりに、右手を差し出した 「…ルイズでいいわ…」 「もったいないお言葉であります、私アニエス、貴官の訓練に従事できた事はこの上ない誇りであります」 ルイズとアニエスはしっかりと手を握り合った、互いに相手の手を握り潰さんばかりに握力を篭める アニエスは握手の時、ルイズの目を見て囁いた、船上でルイズを震え上がらせた、虫を見るような目付き 「ルイズ、アルビオンで何かあった時は、ベルファスト治安維持部隊の三番隊に私が居ることを思い出せ」 ジェシカが店の若い従業員に、急いで駐留軍が詰めている屯所に知らせにいくように耳打ちしていた 「あ~、ジェシカ、お願いがあるの、騎士隊を呼ぶなら、くれぐれも三番隊だけはやめてちょうだい」 ルイズはビスチェの懐に手を突っ込み、こっちは偽造出来ない水魔法紙の身分証明書を取り出そうとした 「あれ…忘れた」 ルイズの身元と地位を証明できるのは、たった今笑いものにされた階級章と、身分証明書だけだった 「ちょ…ちょっと待ちなさい!ホテルに置き忘れてきただけだから、今、届けさせるから!」 ルイズは嗜虐の笑みを浮かべて歩み寄る三人の貴族兵士を手で制しながら、店の周囲の壁を見回す 「…ここがいいわね」 ルイズは店の隅、急ごしらえで建てた店の粗末な壁に、帳簿つけに使ってた黒鉛の筆で大きな丸を描いた KITTは既に傍聴した会話から危険を察し、ホテルの馬車停めから急発進して表通りを疾走していた 北米の幾つかの州では、出動前の消防車ではハードロックをかけて隊員を鼓舞することが定められている KITTはその規則に従い、ルイズのお気に入りを入れてるミュージックフォルダからランダム再生した その晩、KITTが駆け抜けたベルファスト中心街に、デトロイド・メタル・シティのサウンドが響き渡った KITTはこの歌詞を解する人間が居ない事を感謝し、この曲がハルケギニアでカバーされない事を祈った 近づいてくるV8のエンジン音とクラウザー様、貴族兵が身構え、少女達が不安の表情を浮かべる中で 妖精達をカウンター内に退避させたスカロンだけはなぜか懐かしそうな表情で、その音に聞き入っている 貴族兵がルイズに向かって杖を振りかざした、炎のスペルにも動じずルイズは挑戦的な笑みを浮かべる 「ねぇ、田舎貴族のオッサン、あんたは一流ホテルのルームサービスなんて、頼んだことないでしょ?」 ルイズがつけた印に沿って壁が吹っ飛んだ、赤い光、KITTの黒いボディが店内に飛び込んでくる SATSU-GAI! KITTのノーズに炎メイジの貴族兵が跳ね飛ばされる、突入時の速度調整により無傷なのは言うまでもない 「お待たせしました、ルイズ、ご指示通りアンリエッタ女王発行の身分証明書をただ今お持ちしました」 接客のあまり丁寧でないルイズへの面当てのような馬鹿丁寧な口調、叱ろうにもつい顔はニヤけてしまう 「わたしの"ホテル"はムチャクチャ速いのよ」 ルイズはKITTの車内から、夕べサンドイッチを食べる時にナプキン替わりにしていた紙を取り出した 身分証明書を見せるまでもなく、貴族兵達は奇怪な黒い物体に恐れを成し、じりじりと後ずさっている その時、店の端から悲鳴が上がった 兵士の一人が店の妖精を後ろ手に捻り上げ、底を叩き割ったガラスの酒瓶を彼女の顔に突きつけていた 見てくれの割りに戦場の経験の無い兵士、彼は未知の魔法アイテムが持つ力の前に理性を失っていた 恐怖から生存の本能を剥き出しにした彼が突きつけているのは杖ではない、彼はもう、貴族ですらない ルイズは震える手を振ってKITTを下がらせた、握り締めた拳で黒いビスチェのスカートを押さえた ルイズがKITTと共に活動するようになって知った、この世界にはあまりにも不似合いな不殺傷の思想 後に虚無の系統に開眼したルイズは、自分がエクスプロージョンという前代未聞の魔法を使えると知った 今まで狙った場所が爆発した試しの無い味方殺しの魔法だったが、その未曾有の破壊力を得たルイズは KITTの能力と自らのエクスプロージョンの魔法を、決して人を傷つける事に使わない、と誓っていた 「それは、それ!」 ルイズは黒いビスチェのフリルスカートを翻し、腿のガーターから抜いた杖を貴族メイジに突きつけた 「これは…これ!」 ルイズは自らの体内を巡る力を加速させ、目の前のクソ男を吹っ飛ばす特上の爆破魔法を唱え始めた 詠唱を完成させようとするルイズの前に、足音一つ発てることなくスカロンの巨きな背中が立ち塞がった 素手や剣の届かぬ双方の位置関係は、平民が剣や銃を持っていても貴族の魔法には決して勝てない距離 スカロンの爪先がキュっと鳴った瞬間、間合が一瞬で詰められ、酒瓶を持った男が店の端まで吹っ飛んだ 別の男がエア・ハンマーを乱れ撃ちするが、スカロンはその攻撃を左右の拳で砕き、腹にフックを打ち込む もう一人が炎の魔法を発動するより早く、術者保護のため魔法が発動しない直近でジャブ連打を浴びせた あっという間に三人の貴族が床に昏倒した、以前に何度か同じ光景を見たらしき店の常連達が口笛を吹く ルイズが唖然と見つめる横で、KITTが突入に備え上昇させていたエンジン回転数を下げ、声を漏らした 「拳よりその足さばきが私のライブラリーに残っていました、あなたもまた、地球からの召喚者ですね」 「あなたが最初の防衛戦の直前に突然姿を消したことを悔やんでいるボクシング・ファンは数多くいます 北米、環太平洋クルーザー級王者、18試合18勝12KOの重量級新人王、石 夏龍(hsu karon)さん」 スカロンはクネクネさせながら、たった今凶器として使った拳を両頬に当て、恥じらいの声を上げる 「なぁ~んのことかしらぁ、 私はこの魅惑の妖精亭の主人、チクトンネの美の化身、スカロンよぉ~」 KITTの情報によれば、シエスタの曽祖父を始めとする異世界からの召喚者達はあらゆる所に居るらしい ある者は地球への帰還を試みて果たせず失意の内に死に、ある者は召喚の影響で記憶を失ったまま生き そしてそれ以外の人々は意外な所に意外な形で居るらしい、おそらく、それは地球でも同じかもしれない スカロンのパンチでメイジ達がノックアウトされ、やっと騒ぎが終息した頃に騎士隊が駆けつけてきた 「何だルイズ、貴様か、どこかしらで騒ぎを起こす奴だとは思ってたが、酒場の喧嘩とは随分安っぽいな」 女性だけの騎士隊、トリスティンでは貴族に替わり武装した平民を中心とした銃士隊の運用が始まっていた 「ホントにルイズって呼ぶんじゃないわよ!ヴァリエール少尉よ!sirをつけなさいアニエス曹長!」 アニエスは面倒臭そうに襟を見せた、中尉の徽章、外地勤務で騎士隊副官昇進のボーナスを貰ったらしい 「なるほど、店員から話は聞いたが、こいつらは札付きでね、これで不名誉除隊は免れられないだろう スカロン殿の店は軍のお偉方にも好かれてたからな、ヘタすりゃ貴族廃籍だ、まぁ自業自得だな」 「こいつらは貴族じゃないわ、自分のやった事の責任を取れる人間、決して逃げない者を貴族と言うのよ」 ルイズが渋面で呟きながら再会の握手の手を差し出すと、アニエスはそのままルイズの手を引き寄せた 「さ、来いヴァリエール少尉殿、どうせ貴様も手を出したんだろう、事情聴取くらいさせて貰うぞ」 「ちょ…ちょっとアニエス!店長よ!みんなスカロン店長が殴り倒したのよ~!わたし何もしてない~~」 アニエスはスカロンのほうを向くと、アルビオンの港でルイズに見せた時よりずっと丁寧な敬礼をした 「スカロン店長、報告書その他の書類の体裁は、私とこのヴァリエール少尉殿が整えておきます 店長は心置きなく店の復旧をお急ぎください、被害は後ほどこの男達の俸禄から弁済させますので それから…我が銃士隊一同は、あなたが再び拳闘と柔術の稽古にお越し頂くことをお待ちしております」 隊員達に将軍の閲兵のような敬礼をされたスカロンは、キラっと星が飛びそうなウインクで答礼する 「そんな野蛮なことしたらおハダが荒れちゃうわぁ…でも、アニエスちゃんと部下のカワイコちゃん達が あたしの作ったビスチェを着てお店に出てくれれば、次は居合とクンフーでも教えてあげちゃおうかしら 銃士隊の女性隊員が妖精達のビスチェを見てまんざらでもない表情をする中、アニエスは弱気を見せる 「そ…それは…その任務を果たすには…自分は力量不足でありまして、わたし…カラダにはあまり自身が…」 スカロンはアニエスのバストを見ると、薄鋼の胸当てで覆われたオッパイのサイズを掌で正確に形造った 「もったいなぁい、ちょっと寄せて上げればナイスバディよぉ、ルイズちゃんだってお店に出てるんだし」 アニエスはルイズが見た事ないほど狼狽し、片手で冷や汗を拭き、もう片手でルイズを引きずり逃げ出した 店に残ってた客達が退場するルイズに歓声を上げ、今まで貰ったチップを超えるほどのおひねりを投げた 半分は威勢のいい台詞と貴族の誇りを見せてくれた事へのご祝儀で、残り半分は保釈金のカンパだった 銀貨をかき集めたジェシカが「今月のチップレースはルイズちゃんの逆転勝利ね」と声を漏らす 「ルイズちゃんおつとめ頑張って~、壁を壊した分の給料天引きは負けといてあげるわよ~」 「アニエス中尉、せいぜいルイズにはたっぷりと油を絞ってあげてください、たまにはいい薬です」 アニエスに襟首を掴まれ、ジタバタしながら逃げ出そうとするルイズは無慈悲に引っ立てられて行った 「て、て、店長の鬼~、アニエスの悪魔~…KITTの鬼悪魔ぁぁぁ~~~~」 結局ルイズはアニエスのちょっとした悪戯でブタ箱に一泊し、人生最初の臭いメシを食う羽目になった 前ページ次ページKNIGHT-ZERO
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前ページ次ページゼロの独立愚連隊 女子寮の扉をくぐりながら、やれやれと大きく伸びをするサモンジ。今日一日歩き回ったが、少々ルイズと話し合わなければならないことが多い。ルイズの立ち位置が微妙なものになったこともあるのだが、やはり一番気になるのはコルベールの言っていた―― 「っとと、やあキュルケちゃん。と、タバサたyん。ちょうどいいや、朝の事いいかなキュルケちゃん?」 並んで歩くキュルケとタバサの姿を見つけ、サモンジは手を振りながら声をかけた。 「あらら~やっぱりそんな感じなんだ」 そう言ってサモンジはいかにも悩んでいるようにうなりながら腕を組みつつ、ちらりとキュルケの顔を窺う。そこに困ったような表情が浮かんでいるのを認めて、サモンジは心の中で一つ頷く。 今朝キュルケにルイズに関する噂を聞いておいてくれと頼んだ理由は情報収集ではない。キュルケ にルイズの現状が悪いものであることを印象付けておくこと、これが本当の理由である。 ルイズとの付き合いだけを見れば一見キュルケは少々意地の悪い派手な女に思えるが、言葉や態度の裏を少し考えればそれらの全ては姉御肌な性格からくるお節介や発奮を促すものである、とまではいかないが半分くらいはそうだろう。後は軽く後押ししておけば、多少なりともルイズへの態度が柔らかくなる、といいなぁ、そんな期待をして朝に声を掛けておいたのだ。 「それじゃあ私達は戻るわ。サモンジさんもせいぜいあの子の八つ当たりを受けないように気を付けておいた方がいいわよ」 そう言って立ち去るキュルケとタバサを見送りながらサモンジは多少の手ごたえがあったことに安堵する。これで多少はキュルケのルイズへの態度も柔らかくなるかもしれない。と、サモンジは今朝のコルベールとの会話――というか尋問――を思い出してもう一度声をかける。 「忘れてた、ごめんもう一つ頼みがあったんだ。破壊の杖の時の帰りに私がした故郷の話、覚えてる かい? もし覚えてたら他の人には言わないようにしておいて欲しいんだ。皆に話した方が故郷への 帰り道が分かるかと思ったけど、逆に面倒事が多くなりそうなんでね」 少々早口に言葉を重ねるサモンジにキュルケは不思議そうな顔で振り返るが、キュルケが何か言う前にサモンジは背中を向けてしまった。 キュルケは肩をすくめるとタバサを促して部屋に戻ることにする。そんなキュルケに頷きを返しながら、タバサは部屋に戻っていくサモンジの背中に一度視線を向けていた。 ぺたぺたと音を立てながら廊下を歩くサモンジは角を曲がって後ろからキュルケの声が掛けられないことに安堵する。別に声をかけられて、なぜ他人にサモンジの故郷のことを話さない方がいいのか、ということを聞かれても構わないが説明するとオスマンから警戒されていることなど色々と話すことが増えるので面倒なのだ。 ともあれ、あらかた今日の用事は片付いた。後は、ルイズである。昨日の夜にルイズが呟いた、強い力のある自分の方が貴族らしいという言葉。どんな顔をしてあんな事を言ったのかは解らないが、少々良くない方向に参っているのかもしれない。 今までの無力感が反動となって傲慢になっているのだろうか、あるいは彼女の手柄を認めなかった他の生徒達への怒りからの言葉なのだろうか。などとあれこれ考えても埒が明かない。ひとまずはルイズの周囲の状況がどうなったかは把握した。後はルイズ自身がどういう状態になっているか…… そうこう悩んでいる内に考えがまとまらないまま部屋の前に着いてしまう。 「まあ良い方向に転がるかもしれないし、なるようになるか」 サモンジが自分に言い聞かせるように独り言を言ってドアを開く、とふわりといい匂いが部屋の中から漂ってくる。はて、と首を捻りながらサモンジは部屋の中へ入る。 「ただいまルイズちゃん。おやシエスタちゃんまで」 部屋の中を見には、テーブルの上にティーセットとお菓子の載った皿が用意されている。そしてルイズの向かいにはシエスタが座ってカップを持ち上げた状態で固まっていた。貴族と同じテーブルに着いて紅茶を飲んでいるという状況を見られたシエスタは、いたずらを見つけられた子供のように焦った表情で席を立とうと腰を浮かせてガチャンとカップを鳴らしてしまう。それを片手で座るように制しながら、ルイズはサモンジをジト目で睨んでいた。 「お帰り、サモンジ。あんた朝からご主人様をほっぽって丸一日出歩くとはいい度胸ね」 その言葉にサモンジは頭を描きながら適当に笑い返す。ルイズの噂が気になったから、と正直に言うのは少々恩着せがましいし、ルイズも心配されると怒り出すタイプだろうから逆効果だろう。などと考え込むあまり言葉に詰まってしまったサモンジに、ルイズはまあ良いんだけどね、と呟いて表情を戻すとティーカップを口元に運ぶ。 首をかしげるサモンジに、シエスタが居心地が悪そうに身じろぎしながらサモンジにぼそぼそと告げる。 「その、すみませんサモンジさん。私、昼食と休憩のお茶をヴァリエール様にお持ちしたんですが、サモンジさんが朝からヴァリエール様の噂を聞いて回っていたことを話してしまいました……」 「シエスタ。あれはサモンジが私に断りもなく朝から外出したのを私があなたに行方を知らないか尋ねただけよ。悪いのは、こいつ。それとあなたもサモンジも同じ平民よ、サモンジに気を使い過ぎる必要はないわ。こいつが付け上がってしまうわよ」 二人の会話にサモンジはほっとする。朝、食堂でメイドに部屋に食事を運ぶようには頼んでいたが、 シエスタが来てくれていたのは嬉しい誤算だ。おかげでルイズが一人で鬱々とすることもなく過ごせたようだ。とはいえ、それはサモンジが書き置きも無しに部屋を出たせいでルイズを不安にさせた、と言うことでもある。魔法が使えないこともあり普段の振る舞いでは貴族らしくあろうとするルイズが、平民のメイドを同じテーブルに着かせているというのもそのせいかもしれない。 「ごめんごめん、書置き残せばよかったんだろうけど私この国のペンって苦手なんだよ」 とりあえず形だけ謝っておこうと、担いでいたライフルと振動剣を立てかけながら笑って答えるサモンジ。ルイズを一人にして悪かった、と言うことを露骨に言うのは避けた方が良いと判断したのだ。 その内心を知らないルイズはサモンジの態度に呆れたようにため息を吐く。 「そう言えばあんた文字が書けなかったわね。そんな期待した私が馬鹿だったわ」 ルイズのきつい言葉にどうフォローしたものかとオロオロするシエスタだが、サモンジは彼女にいつものことだよ、と軽く笑いながら手で制する。 「いやいや本当にごめん。文字ならもう覚えたから書置きは残せたんだよ。ペンに慣れてないから書置きを残すって事が思いつかなかったんだ」 からからと笑うサモンジだが、その言葉に再びシエスタは驚きで腰を浮かしかけてテーブルを揺らしてしまう。慌てて零れた紅茶をハンカチで拭い片付けるシエスタにルイズは苦笑しながら手を止めさせる。 「もういいわシエスタ。せっかく私の使い魔が戻ってきたんだから片付けはこいつにさせるわ。あなたこそ仕事中に私の暇つぶしにつき合わせて悪かったわね。そろそろ戻っていいわ」 自分が粗相をしたせいで追い出されるのか、そう考えて固まるシエスタ。彼女と場所を代わろうとしていたサモンジは肩を叩きながらフォローを入れる。 「あはは、シエスタちゃん後の片付けは私がやっておくから仕事に戻ってもらっていいよ。私が留守にしたせいでルイズちゃんに付き合ってもらっちゃってすまなかったね。私もルイズちゃんも感謝してるよ、また遊びに来てあげてよ」 そう言いながらシエスタの後ろから両手で肩を揉むサモンジ。その言葉にルイズが眉をひそめて何か言おうとしているが、サモンジが慌ててバシバシと連続で目配せをする。それを受けてルイズはいかにも文句ありげにサモンジを睨むが、サモンジの勘弁してくれと言わんばかりの表情で繰り返す目配せに負けてため息を吐いた後に表情を緩めてシエスタに声をかける。 「そうね、あたなの入れた紅茶も悪くなかったわよ。また時間のあるときにでも頼むわ」 ルイズのその言葉にようやくシエスタは緊張を解いて、固く握り締めていた両手を下ろす。サモンジモも彼女の両肩を乗せていた手でぽんと叩き、振り向いたシエスタに笑顔を見せる。これでようやく落ち着いたのか、シエスタも顔に喜色を浮かべてルイズに勢い良く頭を下げながら、喜んでお待ちしております、こちらこそありがとうございました、と大仰な仕草で礼をしつつ部屋を出て行った。ドアが閉まるのを確認すると、サモンジは笑顔を収めてやれやれと肩を落としてため息を吐く。 「やれやれ……ルイズちゃん、シエスタちゃんは君の事を慕ってくれているんだからもうちょっと言い方を考えてあげようよ。あのまんまじゃ紅茶をひっくり返したから追い出したみたいじゃないか」 「何よ。やることがないから暇つぶしに貴族用の紅茶を飲ませてあげたのよ、それだけでも過分な扱いなんだから。それに平民の給仕の粗相を咎めるにしても、一回は多めに見たし二回目だってシエスタだからあんな言い方にしてあげたのよ」 サモンジの呆れたような言葉に、ルイズは憮然と反論する。まあ確かに、粗相を咎めるにしても先程のルイズの言葉は直接の叱責はせずに退出を促しただけのものだった。これにはサモンジの方がルイズの精神状態について悪いほうの想像ばかりしていたために、少々彼女の言動を色眼鏡で見ていたのかもしれない。 率直な言い方をすれば、サモンジはルイズが酷く捻くれてしまったのではないかと心配していたのだが、むしろ逆に余裕ができたというか寛容になっている。それも、シエスタの粗相を貴族と平民という区別をつけた上で気遣いを見せる対応をする判断もできていた。 ルイズも成長しているのだ。 いつまでも幼稚なままではない。破壊の杖の件での無謀な行動、サモンジからゴーレムへのとどめを譲ろうとされていたこと、宿敵と思っていたキュルケから気遣われていたということ、そして昨日の一件。ルイズの心に傷を残すようなことも多かったがそれだけではない、そんな経験で成長した面もあったのだ。 サモンジは安堵するとともに肩からどっと力が抜けるのを感じた。昨日の夜から今日一日、ルイズの精神状態が悪い方に転がっているかもしれないと――むしろ悪い方に行っていると思い込んで――心配していたのが、全くの取り越し苦労だったのだ。火照っていた左手をぐにぐにと揉み解しながら、サモンジは今までどう切り出すか悩んでいたこれからの話を遠慮なく切り出すことにした。 「それならルイズちゃんの対応で正解か、ごめんごめん。それにちょうど人払いができて助かったよ。 さてルイズちゃん、明日からどうするか……話し合っておこうか」 サモンジが一通り今日の学院の様子を語り終える。もしルイズが将来力をつけた場合に間違いなくやってくるであろう復讐に恐れを感じつつ、それでも魔法が使えないという事への侮蔑を捨てられない生徒たち。フーケの活躍で貴族への不満を晴らしていた平民たちの逆恨み。そしてコルベールからの尋問、その中で出てきた「虚無」という単語。それらに主観を極力交えないように、まずルイズと情報を共有することを目的に淡々と説明した。 その中でルイズの興味を引いたのは、当然ながらコルベールの語った「ルイズの系統が虚無かも知れない」という憶測である。周囲の生徒たちの様子を聞いても微妙な表情をしただけで大した反応を返さなかったルイズも、その単語には戸惑っていた。 「まあこれについては感想を言わせてもらうけど、私の口を滑らせたくて興味深い単語を持ち出しただけって線が強いかな。魔法って視点から見てルイズちゃんはどうだい?」 「そうね、私としてもありえない……というか期待できないというところかしら。始祖の時代から今までの六千年も経って伝説の系統が蘇るなんて御伽噺のレベルよ。万一、もし万が一にでも当たりだとしても虚無の魔法の訓練なんてどうすればいいっていうのよ」 サモンジの問いかけに、予想外にさばさばした様子で答えるルイズ。もう少し未練があると思っていたサモンジは少々肩透かしを食らったような気分だったが、ルイズはなんということのないように続ける。 「サモンジ、あんたも分かったでしょ。私の昨日の魔法、コルベール先生の言う通りなら私の爆発は少なくともトライアングル以上なのよ。確かにコモンマジックも使えないなんていうのは少し気になるけど、この間ギーシュのゴーレムを馬代わりにしたみたいに……そう、母さまみたいにマンティコアに乗って戦えば十分軍人として活躍できるわ。もう学院の生活にも勉強にも、そう未練はないわ」 ルイズは何でもないような口調と表情でそう言って薄く笑う。確かに、ルイズの家の権力はこのトリステインでは有数のものらしい。その後ろ盾があれば一般的な魔法が使えずとも実力さえあればルイズのことを周囲に認めさせることはできるだろう。だがそれは、結局家の権力に頼ったものだ。このハルケギニアにおいて、力が貴族の証明という考えは魔法がメイジの証明という考えに摩り替わってしまっている。その中で魔法の失敗を武器として用いるルイズの存在は、周囲から奇異の目で見られ続ける物となるだろう。ルイズより地位が上のものからは紛い物の魔法を使うメイジ崩れと、地位が下のものからは魔法も満足に使えない癖に親の七光りで出世しただけだと、そう言われ続けることだろう。 結局、ルイズの力はイレギュラーなのだ。あの爆発の魔法が失敗魔法だと、出来損ないの魔法だという認識を覆さない限り本当にルイズが周囲に認められることはないのだ。無論本人もそれは解っている。このルイズの余裕有り気な薄い笑い、それは理解されない寂しさと諦めを隠すためのものでもあるというのは見れば解ってしまうのだ。 諦めること、それもまた成長には必要なことではあるだろう。しかし周囲から認められる、理解されるということを捨てて、ただ孤独にメイジとしての誇りだけを抱いて生きることを目指すという人生が幸せなもであるとはサモンジには到底思えない。 そう、出会ったときからルイズはそうだった。系統魔法が使えないのに系統魔法にこだわり周囲から馬鹿にされ、貴族の誇りにこだわり周囲に食って掛かり、命懸けの仕事に自分から志願し、自分の成果を信じず陰口を叩く者を糾弾し……ルイズはずっと貴族誇り、メイジの誇り――それも奇麗事と笑われる類の――のために生きて来た。それが周囲から滑稽と笑われ、現実に即しない奇麗事と疎まれ、周囲の人々が遠ざかりどんどん孤独に追いやられてもそれを変えなかった。 「どんな時でもお気楽に行こう」そんな生き方を信条としてきたサモンジにとって、自分から苦しむと分かっている道に飛び込んで、やはり無力と屈辱に苦しみ、そして孤独と失望に悲しむルイズはどうにも放って置けない。すぐ近くで悲しみを飲み込んで気丈に振舞う女の子がいるのに、自分は気楽でいることなどできるはずがないのだ。 しかし結局のところ、普通の魔法が使えないルイズの孤独を解消するには爆発魔法を周囲に認めさせること、それしかない。だがそれはブリミルを崇めるこのハルケギニアの社会制度の根幹である、系統魔法こそがブリミルから受け継いだ権力の象徴ということに阻まれてしまう。ルイズの爆発魔法に力があると認めるのは、先住魔法がメイジの世界に存在することを認めるようなもの、すなわち「ブリミルから受け継いだ系統魔法に並び得る力が存在する」ということになってしまうかも知れない。ルイズは軍人として出世できると言っているが、ルイズの出世を快く思わない者がルイズの魔法はブリミルへの冒涜だなどと騒ぎ立てれば面倒なことになるのは間違いない。 わざわざ辛いと解っている道を選ぼうとするルイズに何と言ったらいいものかと考え込むサモンジ。 そんなサモンジにもう話は終わったと思っていたルイズは、ふと先程気になっていた疑問を口にする。 「そう言えばサモンジ、あんたさっきもう文字を覚えたって言ったわよね。それ本当なの?」 「ああ覚えたよ。いつもルイズちゃんと一緒にいたよね? ノートや板書を見ながら先生の説明とかを聞いてる内に頭の中で翻訳されてるみたいに内容が入ってきて、なんかあっさり覚えちゃったんだ。 前にこの左手のルーン、だっけ? これが光るときに銃の状態が分かるとか撃つ時に補正がかかるって言ったと思うけど、そんな感じ」 腕組みをして首を捻った格好のまま顔も向けずに、何でないことのように答えるサモンジ。どこかの高校生も、授業中に居眠りをせずに真面目に受け続ければすぐに文字を覚えられたのだろうが…… そのまま再び考え事に戻ろうとしたサモンジだが、今の自分の言葉にふと思い出すことがあった。ここ最近はある程度人間扱いされていたのですっかり忘れていたが、本来サモンジのハルケギニアにおける身分はメイジの使い魔である。そして一昨日の夜、オスマンから聞かされた伝説の使い魔とされるガンダールヴ……それと同じルーンがサモンジに刻まれたということ。ルイズは虚無という言葉を御伽噺と切って捨てたが、サモンジにはもう一つ根拠としてこのルーンのことがあったのだ。昨日のルイズの手柄を信じない生徒たちとの騒ぎですっかり話すのを忘れていたサモンジは、ばつが悪そうにルイズに声を掛けながら左手を机の上に示した。 「あのさぁルイズちゃん……私すっかり言うの忘れてたんだけど、一昨日オスマンさんと話した時にこのルーンのこと説明されたんだ。これ、ブリミルさんの使い魔だったガンダールヴっていうのと同じなんだってさ」 サモンジの言葉を、世間話モードに入っていたルイズはふーん、とだけ答えて聞き流す。 …… ………… ……………… 「え?」 「だからこのルーン、ブリミルさんの使い魔についてたルーンと同じらしいんだ。まあ、だからと言ってもあのときのコルベールさんの言ってた虚無ってのが本気とも思えないけどね。ルイズちゃんはどう思う?」 頬を掻きながら尋ねるサモンジに、ルイズは答えを返せず軽く混乱していた。余計な期待を抱いたりせずに今の力でできることを考えよう、そう思って先程のサモンジの質問には軍人になると、虚無については御伽噺と言ってのけたが、ここに来て伝説がすぐそばにあるなどと言われたのだ。もしかすると、自分の系統が虚無だったから今までの「普通の」魔法の使い方では魔法が成功しなかったのではないか?以前、サモンジはルイズの爆発を魔法の失敗と呼ばず「爆発する魔法」と形容していたが、今までの爆発は魔法の失敗ではなく「爆発する魔法」の成功だったのではないのか、そんな考えを抱き始めたルイズだが、サモンジは逆の方向に話を続けてきた。 「まあどちらにせよ、虚無だのガンダールヴだのって単語が出てくるんだ。私たちはルイズちゃんが学院を卒業するまでは大人しくして目立たないようにするのが一番だと思うよ。私も破壊の杖みたいな平民用の強力な携行兵器を使えるってことで学院長に警戒されてるみたいだし、ルイズちゃんも昨の教室を吹き飛ばしたアレで目を引いてしまってるはずだろ。アレに変な噂が立つとまずい」 その言葉に、先程のサモンジの懸念と同じ予想がルイズにも浮かんだ。いや、ブリミルを信仰しているルイズにはむしろ深刻な予想である。もし、自分があの爆発の魔法で出世しても、それを異端と告発する者が現れれば…… 「でも、そんなことをヴァリエール家相手に言える相手なんて居ないわ。父様も母様も厳しかったけど……私が異端の疑いを掛けられて見捨てるなんて、ありえないわ!」 一瞬思い浮かんだ暗い想像を払うように、思わず言葉に力が入って荒い声を上げてしまうルイズ。自分の声に驚きサモンジの方を伺うが、サモンジは特に表情を変えずルイズの言葉の続きを待っている。その様子に落ち着きを取り戻し、目を閉じて大きく息を吐いてから続きを口にする。 「サモンジ、あんたが警戒されているのはしばらくすれば忘れられるでしょ。あんたが警戒されたのは、故郷への手がかりが欲しいからって迂闊に学院長相手に口を滑らせたのが原因よ。それでも破壊の杖の作り方は知らないってコルベール先生相手にも言い張ったんなら、後は大人しくしてればもう変なことはできないって思われるでしょ」 「そうだね。使い方を知ってるだけってことで言い張ってるし」 ルイズの言葉にサモンジも頷く。サモンジもこれについては同じ意見だし、ルイズもひとまず落ち着いたようだ。とはいえ、自分のことについてはメイジの誇りを捨てられないようで少々意固地な主張を続ける。 「でも、私の方は別よ。だって私はちゃんと貴族の血を引くメイジなんだから……変わった魔法だからって異端だなんてありえないわ。それに私だって魔法の失敗と言い張ったって構わないわ、実績を上げさえすれば文句は言わせないもの」 ふん、と最後は鼻息と共に言い切る。そんなルイズの主張の強さに、サモンジも少しアプローチを変えようかと迷い始めた。 ルイズとサモンジの関係。ハルケギニアにおいてそれは結局、貴族と平民、メイジと使い魔という壁がある。まだルイズは爆発していないが、大人とはいえ平民のサモンジがこうもルイズの意思を潰し続けているのはかなり不満に思っているだろう。 ならばルイズの意思を尊重する方向でできる限りのフォローを入れるのがいい、サモンジはそう結論づける。 「よし解った。私としては色々不安だけど、ルイズちゃんだっていつまでも子供じゃないんだからね。 ルイズちゃんの意思を尊重して、その爆発する魔法で軍人を目指す、それを目標で頑張ろうか」 そう言って右手を差し出すサモンジ。ようやく意見を翻してルイズの言葉を認めたサモンジにルイズは満足そうに頷いた。 「当然よ。サモンジ、あんたも私の使い魔として働いてもらうわよ。……ふぅ、いい加減疲れたわね。 喉も渇いたし、少し早いけど夕食を持ってくるように言って来て」 使い魔、という部分を強調して言うルイズ。サモンジはテーブルの上で所在なさげに右手をわきわき動かしてから苦笑いと共に手を引っ込めた。席を立ちながら少し馴れ馴れしいかな、といって頭を掻くが、ややあってその表情を真面目なものに戻してルイズに釘を刺す。 「とは言ってもルイズちゃん、その爆発する魔法はあまり大っぴらにはアピールしない方がいいのは解っているよね?その辺は学院を卒業して家に戻るまでは自重してくれよ」 サモンジの言葉に、ルイズも不満げではあるが解っていると頷く。 「ええ。私の爆発の魔法は他のメイジに使えない私だけの魔法っていうのが一番の武器なんだものね。 でもまあ、私の母様の真似をして仮面のメイジとして戦うのも面白そうだけどね」 ふと思いついた母親の真似をして仮面で顔を隠して戦う自分の姿を思い描き笑みを漏らすルイズ。そんなルイズに苦笑いをしながら、サモンジがもう一度釘を刺す。 「まあそれもあるんだけどね。この国じゃ普通の系統魔法が一般的なんだから、正統から外れてることは自覚してある程度セーブしないとってことと、せめて卒業するまではそっちの勉強を捨てちゃだめだよ。それに将来の目標なんだから、ちゃんと家族にも相談しておかないとね」 そう言ってサモンジは部屋から出て行くが、ルイズはサモンジの持ち出した家族への相談、という言葉に凍りつく。先程まで想像していた、仮面をつけてマンティコアを駆りながら戦うルイズの姿が母親の姿に変わり、ルイズが追い回していた敵の姿がルイズに入れ替わる。 「そ、そうね、父様や母様にも認めてもらわないと、何かあったときに迷惑を掛けちゃうものね。 ……でも母様にそんなこと言ったら、自分に勝てないと認めないとか言いそう…… そうよ、そもそもあんた連れて帰って、これが私の使い魔です、なんて言った時点で……」 結局、一人になった部屋の中でルイズは母親に追い回され続ける想像に悩まされ続け、シエスタが持って来た夕食に一口も手を付けないままにベッドに潜り込んでしまった。 「ああ、いや、母様……そんなの大きすぎます……私壊れて、無理です……駄目、嫌…… エアストームなんて無理ィィ!!」 「…………(ルイズちゃんの母親ってどんだけ怖いんだ……?)」 そして眠りの中でも安息は無く、ルイズの悪夢は延々翌朝まで続いた。 前ページ次ページゼロの独立愚連隊
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前ページ次ページ虚無のパズル 翌朝……。 鍾乳洞につくられた港の中、ニューカッスルから疎開する人々に混じって、ティトォは『イーグル』号に乗り込むための列に並んでいた。 先日拿捕した『マリー・ガラント』号にも、脱出する人々が乗り込んでいる。 (いいの?) ティトォの頭の中に、声が響く。 (黙って先に行っちゃってさ) 幼い女の子の声……、アクアの声である。 「ルイズのこと、怒らせちゃったから。顔合わせづらくて」 ティトォは小声で呟き、頬を掻いた。 (ありゃルイズだって悪いんだよ。あのガキ、癇癪持ちでどうしようもないね) アクアが鼻を鳴らす。まるで肩をすくめる仕草が見えるようで、ティトォは小さく笑った。 (それにしても、結婚式か……) 「うん」 (プリセラは、見たかったんじゃないかな……。結婚式) 「……そうだね」 ティトォとアクアは、魂の同居人に思いを寄せた。 と、そのとき。 急に、胸がざわざわとして、ティトォは小さく顔をしかめた。 この感覚は、ティトォのものではない。 「……プリセラ?」 不死の三人の最後の一人・プリセラの魂がざわめいて、ティトォの魂を揺らしていた。 さてその頃、ルイズは戸惑っていた。 今朝方早く、いきなりワルドに叩き起こされ、ニューカッスル城の敷地にある礼拝堂に連れてこられたのである。 始祖ブリミルの像が置かれている礼拝堂には、ウェールズ皇太子が待っていた。 周りに、他の人間はいない。皆、戦の準備で忙しいのだろう。 寝ぼけた目でぼんやり皇太子を見ていると、ワルドがルイズの耳に顔を寄せ、「今から結婚式をするんだ」と言った。 「え」 ルイズは思わず目をぱちくりとする。 結婚式?なにそれ。 寝起きの悪いルイズは、まだ自分が夢を見ているのかと思った。 呆然とルイズが突っ立っていると、ワルドはアルビオン王家から借り受けた新婦の冠をルイズの頭に乗せた。 魔法の力で永久に枯れぬ花があしらわれ、なんとも美しく清楚な作りであった。 甘い花の香りが、ルイズの鼻をつく。 どうやらこれは、夢ではないらしい。 いったい、何が起こってるっていうの? ルイズは昨日の、ティトォとのやり取りを思い出す。 (わたし、ワルドにプロポーズされたの。今決めたわ。わたし、ワルドと結婚するわ。あの人、頼りがいがあるから、きっと安心ね) あれは、ティトォへの当てつけで、つい口にした言葉だった。 ラ・ロシェールで受けたプロポーズへの返事をどうするかは、実際のところ、まだ悩んでいた。 もしかして、ワルドは昨日の話を、どこかで聞いてたのかしら。 それで、わたしがプロポーズを受けたのだと思ってるのかしら。 ええ、そんな。どど、どうしよう。 「あのね、ワルド。えと、その」 ルイズがあたふたしているうちに、ワルドはルイズの黒いマントを外し、同じく王家から借り受けた純白のマントをまとわせた。 新婦しか身につけることを許されぬ、乙女のマントであった。 「そそ、そのね。ふ、不幸な行き違いがあったと思うの……」 ルイズはしきりに手をいじりながら、ごにょごにょと呟いた。 「似合っているよ、ぼくのルイズ」 ワルドがうっとりと声をかける。 ルイズのつぶやきは、ワルドの耳にはまったく届いていなかったようだ。 ルイズは本当に困ってしまった。 どうしよう。どうすればいいんだろう。 「あのねワルド」 「では、式を始める」 ルイズが口を開くのと同時に、ウェールズがおごそかに宣言した。 その言葉に、ルイズの隣に立ったワルドが、恭しく一礼した。 ダメだ。ダメだこの人たち。 人の話、全然聞いてない。 「新郎、子爵ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド。汝は始祖ブリミルの名において、このものを敬い、愛し、妻とすることを誓いますか」 ワルドは重々しく頷いて、杖を握った左手を胸の前に置いた。 「誓います」 ウェールズはにこりと笑って頷き、今度はルイズに視線を移した。 「新婦、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール……」 朗々と、ウェールズが誓いのための詔を読み上げる。 「いえ、ですから……」 ルイズは困った顔でウェールズに進言しようとした。 これは、ワルドの早とちりなんです。ふたりの間に、ちょっとした誤解があったんです…… 「……汝は始祖ブリミルの名に置いて、このものを敬い、愛し、夫とすることを誓いますか」 ルイズはハッとなって、ウェールズを見る。 ウェールズは明るい紫のマントを身に纏い、七色の羽を着けた帽子をかぶっている。アルビオン王家の礼服である。 ウェールズの後ろには、両手を前に突き出した始祖像が鎮座している。 困惑していて気付かなかったが、これは正式な結婚式だ。 略式とはいえ、始祖の前に誓う婚礼の儀である。 ルイズは気付いた。今、答えを出さなくてはいけないのだ。 決心がつかずにのらりくらりとかわしていた、ワルドのプロポーズへの返事を出すのが、今なのだ。 ルイズは俯いて、考える。 相手は、憧れていた頼もしいワルド。 幼い頃に交わした結婚の約束、それが現実のものになろうとしている。 でも、ちょっと話が急すぎない? プロポーズを受けた(とワルドは思っている)次の日に結婚式だなんて。 そんな話、聞いたことないわ。 キュルケの奴が『殿方は強引なくらいじゃなきゃだめよ』なんてのたまってたけど、これはあんまり強引すぎじゃないかしら。 「緊張しているのかい?仕方がない。初めての時は、ことがなんであれ、緊張するものだからね」 そういってワルドはにっこりと笑った。 ウェールズが続ける。 「まあ、これは儀礼にすぎぬが、儀礼にはそれをするだけの意味がある。では繰り返そう。汝は、始祖ブリミルの名において、この者を敬い、愛し……」 式は、ルイズの与り知らぬところで続いている。 ルイズはなんだか腹が立ってきた。 ルイズの脳裏に、昨日の夜の、ティトォやウェールズたちへの怒りが甦ってくる。傲慢な男たちへの怒りであった。 ワルドだってそうだ。強引で、なにもかも勝手に決めてしまってる。 そういうの、なんかいやだわ。気に入らない。 ルイズの心は、決まりつつあった。 でも、そんなことでプロポーズを断っていいものかしら? ワルドのことは、憧れだった。 魔法衛士隊の隊長ともなれば、結婚の相手としては理想的と言えるだろう。 それを「なんだか気に入らない」なんて言葉で、袖にできるものなのかしら? そんなの、何の理由にもなってないわ……。 ルイズは少し悩んだが、やがてふうっと息を付いた。 ルイズの脳裏に、ゆうべティトォに投げかけた言葉が思い出された。 (プロポーズを受けるかどうか、悩んでるわ。これは理屈じゃない、気持ちの問題よ) そうだ。これは、政略結婚でもなんでもない。 ならば結婚は、理屈でするものではない。 だったら自分の今の気持ちに、従ってみよう。理由なんて後から付いてくるわ。 「……夫とすることを、誓いますか」 ウェールズの言葉に、ルイズは小さく首を振った。 「新婦?」 「ルイズ?」 二人が怪訝な顔で、ルイズの顔を覗き込む。ルイズはワルドに向き直った。 そして、申し訳なさそうに目を伏せて言った。 「ごめんなさい、ワルド。あなたとは結婚しないわ」 いきなりの展開に、ウェールズは首をかしげた。 「新婦は、この結婚を望まぬのか?」 「その通りでございます。お二方には、大変失礼をいたすことになりますが、わたくしはこの結婚を望みません」 「……緊張しているんだ、そうだろルイズ。きみがぼくとの結婚を拒むはずがない」 ワルドはルイズの手を取って、言った。 「ごめんなさい、ワルド。憧れだったのよ。もしかしたら、恋だったかもしれない。でも、今は違うの」 「あの使い魔か?あの男に恋したのか、ルイズ!」 「そんなんじゃないわ」 「ではなぜ!」 「本当にごめんなさい。でもワルド。今のあなた、なんだか気に入らないの」 ワルドの頬に、さっと朱がさした。 「ふざけるな!そんな理由があるもんか!」 ワルドは、ルイズの肩を掴んだ。その目が吊り上がる。熱っぽい口調で、ワルドは叫んだ。 「世界だルイズ!ぼくは世界を手に入れる!そのためにきみが必要なんだ!」 ルイズはワルドに怯えて、後じさった。 そりゃあ、あんな理由で結婚を拒んだのだ、ワルドはきっと怒るだろうとは思っていた。 しかし、ワルドの豹変ぶりは尋常ではない。歪んだ目の光が、爬虫類を思わせるような冷たいものに変わっている。 「ルイズ、いつか言ったことを忘れたか!きみは始祖ブリミルに劣らぬ、優秀なメイジに成長するだろう!きみは自分で気付いていないだけだ、その才能に!」 ワルドの剣幕に、ルイズは震え上がった。ルイズの知っているワルドではない。いったい何が、彼をこのような物言いをする人間に変えてしまったのだろうか? 見かねたウェールズが、間に入ってとりなそうとした。 「子爵……、きみはフラれたのだ。いさぎよく……」 「黙っておれ!」 ワルドはその手をはねのける。 ウェールズは、ワルドの言葉に驚き、立ち尽くした。 ワルドはルイズの手を握った。ルイズはまるでヘビに絡みつかれたように感じた。 「ルイズ、きみの才能がぼくには必要なんだ!」 ルイズはワルドの手を強引に振りほどき、きっとワルドを睨みつけた。 「あなたのこと、気に入らなかった理由がやっとわかったわ」 ルイズの肩は、怒りで震えている。 『なんだか気に入らない』程度だったワルドへの感情は、はっきりとした嫌悪に変わっていた。 「あなた、ちっともわたしを愛してないじゃない。あなたが愛しているのは、あなたがわたしにあるという、ありもしない魔法の才能だけ。そんな結婚、死んでもいやよ!」 ワルドはまたしてもルイズに掴みかかろうとする。しかし、その行く手にウェールズが立ちはだかった。 ウェールズは、ワルドに杖を突きつけている。 「見苦しいぞ、子爵!今すぐにラ・ヴァリエール嬢から離れたまえ!」 ワルドはやっと身を引くと、どこまでも優しい笑顔を浮かべた。 しかしその笑みは、嘘に塗り固められていた。 「こうまでぼくが言ってもだめかい?ルイズ。ぼくのルイズ」 「いやよ、誰があなたと結婚なんかするもんですか」 ワルドは天を仰いだ。 「この旅で、きみの気を惹くために、ずいぶん努力したんだが……」 両手を広げて、ワルドは首を振った。 「こうなってはしかたない。ならば目的の一つは諦めよう」 「目的?」 ルイズは首をかしげた。どういうつもりだと思った。 ワルドは唇の端を吊り上げると、禍々しい笑みが浮かべた。 ワルドは右手を掲げると、人差し指を立てて見せた。 「そうだ。この旅におけるぼくの目的は、三つあった。ひとつはきみだ、ルイズ。きみを手に入れること。しかし、これは果たせないようだ」 「当たり前じゃないの!」 次にワルドは、中指を立てた。 「二つ目の目的は、ルイズ、きみのポケットに入っている、アンリエッタの手紙だ」 ルイズははっとした。心の中で、いやな想像がふくれあがる。 「ワルド、あなたまさか、貴族派に……」 「そして三つ目」 ワルドの『アンリエッタの手紙』という言葉で、ウェールズはすべてを察した。 「貴様、『レコン・キスタ』!」 ウェールズは杖を構え、呪文を詠唱した。 しかし、ワルドは二つ名の閃光のごとく杖を引き抜き、呪文の詠唱を完成させた。 ウェールズの呪文が発動しようという瞬間、ワルドの杖がウェールズの杖を薙ぎ払った。 ウェールズの水晶の杖は真っ二つに切り裂かれ、宙を舞う。 「三つ目は、貴様の命だ。ウェールズ」 ワルドは小さく呟き、ウェールズの胸を狙って杖を突き出した。 ルイズは立ちすくみ、その光景をまるでスローモーションの映像を見るかのように、見守っていた。 杖を中心に、青白く光る鋭い空気の渦が発生している。杖を刃と化す『風』の魔法、『エア・ニードル』だ。 ワルドの杖の切っ先が、今まさにウェールズの心臓を貫かんとしたとき……、 突然、がくんと身体を揺らし、ワルドの動きが止まった。 「なに!」 ワルドが困惑して、叫んだ。 ぐん、と見えない力で引っ張られて、ワルドの身体はウェールズから引き離される。 ワルドはそのまま、宙に浮いた格好で動きを封じられた。 「身体が、動かん……!貴様、何をした!」 ワルドが叫ぶ。 しかし、ルイズもウェールズもわけが分からず、困惑した目でワルドの姿を見ていた。 ふとワルドが、杖を握った、動かない右腕に目をやると、手の甲を何かが這い回っていた。 それは小さな蜘蛛であった。 よく見ると、ワルドの腕に、脚に、身体に、細い糸が絡み付いている。 ばかな。こんな細い糸が、身体の動きを封じているというのか? 「マテリアル・パズル」 礼拝堂の入り口から響いてきた声に、ウェールズと、ルイズ、そしてワルドは振り返った。 「魔法の炎で蜘蛛をパワーアップさせ、操った。そしてパワーアップした糸を出してもらった」 そこにいたのは、ハルケギニアでは珍しい、黒い髪と黒い目を持った少年。 『イーグル』号でアルビオンを脱出しているはずの、ティトォであった。 「ティトォ!」 ルイズが目に涙をいっぱいためて、叫んだ。 「貴様……」 ワルドが苦々しげに呟く。 「なぜにぼくの裏切りがわかった?ミョズニトニルン。きみに疑われるような真似は、しなかったつもりなんだがね」 「確かに、お前の行動におかしなところはなかった。ぼくは疑いもせず、『イーグル』号に乗り込むところだった」 ワルドは怪訝な顔になる。 「ならばなぜ?」 「勘さ」 「勘?勘だと!」 ワルドは驚いて、叫んだ。『勘』、それはこの少年に、もっとも似つかわしくない言葉に思えた。 ティトォはなにごとも細かく観察し、論理的に分析する人間だ。 『勘』などという曖昧なものにそって、行動するとは思えない。 「ぼくだけだったら、まんまと騙されてた。でもぼくの中のプリセラの魂が囁いたんだ。「ワルドはなんだか気に入らない」ってね」 女の勘ってやつかな、とティトォは呟いた。 そしてティトォは、火のような怒りを含んだ目で、ワルドを睨みつけた。 「よくもルイズを裏切ったな」 ルイズには、ティトォの黒い瞳の色が、一瞬青く色を変えたように見えた。 これはティトォだけの怒りではない。不死の身体に眠るアクアの、プリセラの怒りだ。 そして、結婚式でルイズを裏切ったワルドに、一番腹を立てているのはプリセラなのだ。 プリセラの魂が震え、ティトォの怒りを大きくしていた。 ワルドはティトォの言葉の意味がわからず、首をひねっていた。 しかしやがて残忍な笑みを浮かべて、言った。 「いやはや……、さすがは伝説の使い魔と言ったところか。きみには驚かされてばかりだよ」 妙に余裕を感じる口調である。 ティトォはいぶかしんだ。 「ルイズ、ウェールズ皇太子を連れて逃げるんだ」 ティトォの言葉に、ルイズははっとして、ウェールズに駆け寄った。 「ウェールズ様、こちらに……!」 「あ、ああ」 ウェールズは困惑していたが、その言葉に従い、ルイズの手を取った。 しかし…… どこに潜んでいたのか。突然、ウェールズの背後に長身の貴族が現れた。 その貴族は風のように身をひるがえらせ、青白く光る杖で、背後からウェールズの胸を貫いた。 ウェールズの口から、どっと鮮血が溢れ出る。ティトォの目が驚愕に見開かれる。ルイズは悲鳴を上げた。 ウェールズの身体が、どう、と床に崩れ落ちる。 杖を鮮血に染めた長身の貴族は、悠然とそこに立っていた。白い仮面が顔を隠している。 ルイズは腰を抜かしてへたり込んだ。 この貴族は、ワルドのグリフォンに乗っていた……! 仮面の貴族は、ふわっと身を翻らせると、ワルドの身体にからみつく蜘蛛の糸を杖で切り裂いた。 身体の自由を取り戻したワルドが、すたっと地面に降り立つ。 「ルイズ!」 ティトォがルイズとウェールズの元に駆け寄る。 右手に握ったライターから、大きな火柱が燃え上がっている。 「ホワイトホワイトフレア、この者の傷を癒せ!」 ティトォはウェールズの身体に、魔法の炎を叩き込んだ。ウェールズの全身に、炎が燃え広がる。 「無駄だよ、心臓を貫いたのだ。ウェールズは即死さ」 せせら笑うワルドと、その隣に立つ仮面の男を、ティトォは睨みつけた。 そして、奇妙なことに気が付く。 身長、呼吸の間隔、骨格、全身のバランス。この二人は『すべてが同じ』なのだ。 「風の遍在〈ユビキタス〉……」 「おや、さすがだね、一目で見抜くとは。やはり『遍在』を隠しておいて正解だったよ」 仮面の貴族は、すっと顔に手を伸ばすとその真っ白の仮面を外した。 ルイズははっと息を呑んだ。その仮面の下から現れたのは、ワルドの顔だった。 二人のワルドが、こちらを見て笑っている。 「風のユビキタス。風は遍在する。風の吹くところ、何処となくさまよい現れ、その距離は意志の力に比例する」 「ラ・ロシェールで襲ってきた傭兵の手引きをしたのも……」 「その通り、ぼくだ。遍在は、それ自体が意志と力を持っているからね。離れたところでいろいろと動かせてもらった」 ワルドが得意げに語る中、跪くティトォの背後、ウェールズの身体がぴくりと動いた。かは、とウェールズの喉から空気が漏れる。 それを見て、ワルドの眉が吊り上がる。 「傷を塞ぎ、蘇生したというのか。どうやらきみの魔法を甘く見ていたようだな……」 ワルドの遍在が、薄笑いを浮かべて杖を構えた。 「だが、貴様はウェールズの治療で動けまい!二人まとめて、地獄に送って差し上げよう!」 ワルドを睨みつけるティトォの額に、冷や汗が浮かぶ。 ワルドの言う通り、ウェールズは危険な状態だ。完全に治療が終わるまでは、動かせない。 そのとき、杖を構える遍在の足下が爆発した。ぼごんっ!と激しい音が響く。 ワルドとティトォが振り向いた。杖を構えたルイズが、ワルドと遍在を睨みつけている。 ワルドが素早く杖を振るう。ルイズは風の障壁に横殴りに打たれ、紙切れのようにふっとんだ。 ルイズの身体は、ティトォとウェールズの近くまで転がって、ようやく止まった。 「ルイズ!」 「あぐ……」 全身の痛みにルイズが顔をしかめる。 「ルイズ。愚かなルイズ。きみは変わってしまったな。昔はぼくの言うことはなんでも聞き入れたのに」 「ふざけないで、変わったのはあなたよ……!トリステインの貴族であるあなたが、どうして!」 「我々はハルケギニアの将来を憂い、国境を越えて繋がった貴族の連盟さ。我々に国境はない。ハルケギニアは我々の手によって一つになり、始祖ブリミルの降臨せし『聖地』を取り戻すのだ」 ルイズが呪文を唱え、杖を振るう。しかし呪文はワルドにかすりもせず、ワルドの背後の壁を爆発させた。 ワルドが杖を振るう。風の刃が、ルイズの肌を薄く切り裂いた。 「うあ……!」 「共に世界を手に入れようと言ったのに、聞き分けのない子だ」 ティトォの手が、ルイズの肩に伸びた。ルイズの全身を炎がまとい、傷が消えていく。 二人のワルドは冷たい瞳で、ルイズを見下ろす。 「言うことを聞かぬ小鳥は、首を捻るしかないだろう?なあ、ルイズ」 遍在が呪文を唱えると、杖が青白く輝きだした。先ほどウェールズの胸を貫いた、『エア・ニードル』の呪文だ。 (結構なダメージでも、その炎が回復させてしまうからな……。このまま、一撃で確実に首を落とす) 遍在が杖を振りかぶる。 ルイズは恐怖に目をつむりそうになったが、気丈に遍在を睨みつけた。 怖い、逃げ出したい。でも。 負けるもんか。 薄汚い裏切り者なんかに、負けるもんか! 「ウル・カーノ……!」 ルイズが呪文を唱える。それより早く、遍在は杖を振るった。 しかし。 ぼごんっ!と激しい音が響き、爆発とともに遍在は吹っ飛んだ。遍在は、ワルドの背後の壁にぶち当たり、消滅した。 「何!」 ワルドがうろたえる。ルイズの詠唱より、確実に遍在の動きの方が速かったはずだ。 しかし実際には、先に発動したのはルイズの呪文だった。 「え……?」 ルイズも、あっけにとられた顔で自分の杖の先を見つめた。 信じられないくらい、身体が速く動いた。それだけじゃない。あの距離で魔法を外すことはないとは思っていたが……、なんだか『狙ったところに魔法が当たった』ような感覚があったのだ。 ワルドが杖を構え、呪文を唱える。 「ラナ・デル……」 「ウル・カーノ!」 ルイズが杖を振るのと同時に、ワルドは呪文の詠唱をやめ、飛び退った。ワルドの立っていた空間が爆発し、礼拝堂の床板を巻き上げた。 「なんだと!」 ルイズは確信した。 当たる。 今の自分は、狙った場所を爆発させることができる。 しかも爆発の威力も、いつもの失敗魔法より、数段上がっている。 「この力は、いったい……」 「……マテリアル・パズル。魔法の炎を、ドレス化して身に纏わせた」 ルイズの背後で、ウェールズを治療しているティトォが言った。 「魔法の炎は、生き物の潜在能力を引き出してくれる。蜘蛛をパワーアップさせたように、ルイズの身体能力・魔力・そして魔法のコントロール力を強化した!」 ティトォの叫びに呼応するかのように、ルイズの身体を纏う炎が、いっそう強く燃え上がった。 「……ルイズ」 ティトォが、苦しそうな声で言う。 「ぼくは、ウェールズ皇太子の治療で動けない。それに、残念ながらぼくは、あいつと戦えるだけの攻撃力は持っていない。……女の子に戦わせるようなことをして、申し訳ないと思う。情けないと思う。 そのかわり、ぼくの魔力は、できるだけきみに送る。ダメージも一瞬で回復させる。きみはぼくが命をかけて守る!だから、きみの力を貸してくれ!」 「……当然だわ!ワルドはハルケギニアを戦渦に巻き込もうとする『レコン・キスタ』の一員よ。それに、ウェールズ様やわたしをなんとも思わず殺そうとした。命をなんとも思わないゲスな男!」 ルイズは視線をワルドから外さずに、頷いた。 「トリステイン貴族として!あなたはここで倒す!」 「は!勇ましいことだ、小さなルイズ」 ワルドが笑う。 「もう、小さくないわ!」 ルイズが杖を振るうと、ドンドンドンと続けざまに爆発が巻き起こった。 ワルドは素早い動きで爆発を交わしながら、早口に呪文を唱える。 「ラグース・ウォータル・イス・イーサ・ウィンデ!」 『風』の二乗と、『水』ひとつのトライアングルスペル、『ウィンディ・アイシクル』。 空気中の水蒸気を凍らせた無数の氷の矢が出現し、ルイズに殺到する。 「ウル・カーノ・ジエーラ!」 ルイズが素早く杖を振るう。立て続けに爆発が起こり、氷の矢はすべて撃ち落とされた。 「やるね。しかしこの魔法は撃ち落とせないぞ!」 ワルドはすでに、次の呪文を完成させていた。ワルドの周りの空気が、バチバチと帯電している。 「『ライトニング・クラウド』!」 ルイズが魔法の正体に気付いた瞬間、ばちん!と空気がはじけた。ワルドの周辺から稲妻が伸び、ルイズに襲いかかる。 「きゃあああああ!」 身体にしたたかに通電し、ルイズは悲鳴を上げた。『ライトニング・クラウド』は、まともに受ければ命を奪うほどの危険な呪文である。電撃はルイズの胸を直撃し、そのショックで心臓が止まる…… 「ホワイトホワイトフレア!」 ティトォの叫びとともに、ルイズの纏う炎が勢いを増す。心臓はふたたび動き出し、電撃によって負った火傷もすべて消え去った。 「……っは、はあっ!」 ルイズは荒い息を付いた。身体にダメージがまったく無いことを確認すると、ふたたびワルドに向け杖を構える。 ワルドは小さく舌打ちをする。 やっかいだな。 ルイズの力は大幅に強化されている。しかし、ルイズは魔法発動のための媒体にすぎない。今、実質的にぼくが戦っているのは…… ワルドはルイズの背後、倒れ伏すウェールズの側に跪くティトォを見る。ティトォは、こめかみを指でトントンと叩きながら、ワルドのことをじっと見つめている。 ……実質的にぼくが戦っているのは、あの後ろにいる少年というわけか。ならば。 ワルドは口の端を吊り上げ、呪文を唱える。 「ラナ・デル・ウィンデ……」 空気の槌、『エア・ハンマー』が、礼拝堂の天井を砕いた。崩れた天井が、ティトォとウェールズに降り注ぐ。 「ティトォ!」 ルイズは素早く呪文を唱え、天井の破片を爆発で砕いた。 しかし、砕ききれなかった破片がティトォの頭にぶつかる。ごつ、と鈍い音が響き、額からつうっと血が一筋流れる。 ルイズがティトォたちに気をとられた瞬間、ワルドがルイズに襲いかかった。 「余所見をしたね。迂闊な!」 至近距離で『ウィンド・ブレイク』の魔法をくらい、ルイズは吹っ飛んだ。ごろごろと、ティトォの近くに転がる。 「ぐ……」 うめきながら身を起こすと、またも身体のダメージが消えていくのがわかった。 「このくらい、かすり傷よ。わたしのことより、あんたは皇太子の治療に専念して」 ルイズが、隣にいるティトォに言った。 「……でも、どうしよう。どうやって戦えばいいの?いくら魔力を強化したって言っても、相手は魔法衛士隊のスクウェアよ。戦いのセンスとか、勘とか、そういうのではわたしぜんぜん敵わないわ」 「わかってる。でも、もう少しだけ、ワルドを足止めしてくれ」 ワルドから視線を外さず、ティトォは言った。こめかみを指で叩き続けていて、額に流れる血を拭おうともしない。 「あと少し……、あと少しでわかるんだ」 「?……わかったわ」 よく分からないけど、ティトォはなにか考えがあるようだった。 ワルドが杖を振りかぶると同時に、ルイズも魔法を発動させた。 ワルドの真上の天井が爆発し、破片が降り注ぐ。さっきのお返しだ。 ワルドがばらばらと落ちる破片をかわした先に、爆発を起こす。巻き込まれるワルドを見て、ルイズはやった!と思ったが、ワルドは無傷だった。風の障壁で爆発をいなしたようだ。 すぐさまワルドが、『エア・カッター』をルイズに撃ってきた。ルイズは素早く魔法をぶつけ、『エア・カッター』を相殺する。 ワルドが忌々しげに呟いた。 「やはり、あの使い魔を先に仕留める必要があるか……」 あの少年を倒せば、魔法はじきに解ける。ルイズとウェールズの回復もできなくなる。 しかし、魔法の攻撃はルイズに撃ち落とされてしまう…… ならば…… 「イル・ウォータル・スレイプ・クラウディ……」 ぶわっ、とワルドのまわりから、白い煙が巻き起こった。いや、これは煙ではなく、雲だ。雲はみるみる礼拝堂に広がり、ルイズたちに襲いかかる。 「わぷ!」 綿菓子のように濃密な雲にまとわりつかれ、ルイズは思わず声を上げた。 いけない、この呪文は『スリープ・クラウド』!眠りの呪文だわ! あわてて口を塞いだが、魔法の炎を身に纏っているためだろうか、眠気には襲われなかった。 しかし、眠りの魔法にはかからなかったものの、濃密な雲がルイズの視界を奪っている。 ルイズははっとなった。 まずい、ワルドの姿が見えない! 「ティトォ!ティトォ、狙われるわ!逃げて!」 ルイズの叫びを聞きながら、ワルドはせせら笑った。 無駄だよ。治療の終わっていない皇太子は動かせない。それに、君たちからはぼくの姿は見えないが、ぼくにはちゃんと見えている。『風』の流れを読むのは、ぼくの得意とするところなのだ。 しかし、あの使い魔の少年は得体が知れないからな。念には念を入れて…… 「ユビキタス・デル・ウィンデ……」 呪文を完成させると、ワルドの身体がいきなり分身した。風の遍在。しかも、その数は先ほどのように一つではない。 二つ……、三つ……、四つ……、本体とあわせて五体のワルドが現れ、ティトォににじり寄った。 ルイズは真っ白な雲の中、なんとかワルドの姿をとらえようときょろきょろしている。 ティトォは相変わらず、ウェールズに魔力を送りながら、こめかみを指でトントンと叩いている。 ワルドはにやりと笑い、小声で呪文を呟く。すると、杖が青白く光りだした。『エア・ニードル』だ。 「さよならだ、『ミョズニトニルン』」 ワルドは静かにティトォの背後に忍び寄り、杖を振りかぶった。 トン、とティトォが、指でこめかみを叩くのをやめた。 「……よし」 口の端を吊り上げて、ニッと笑顔を作る。 「できた!」 ワルドが杖を振り下ろした。首を正確に狙った、必殺の一撃だ。 しかしティトォはふっと身をかがめ、その一撃は空を切った。 「なに?」 ワルドが驚きの声を上げる。 「かわした?ばかな、見えているのか。いや……」 ティトォは変わらず前を見据えていて、その視線の先には、五人のワルドの誰もいない。 おまけに、ティトォのすぐ横に立っている、別の『遍在』にも、まったく気付いてないように見えた。 「……空気の流れを感じるとか、気配を察知するだとか、こいつにそんな能力はないはず。かわしたのは、偶然だ」 ワルドはふたたび杖を掲げ、ティトォを狙う。 「来る」 ティトォは呟くと、くいっと右手を動かした。 次の瞬間、ティトォの背後、杖を振りかぶった遍在が爆発した。遍在は吹き飛び、消滅した。 「なんだと!」 残った四人のワルドは驚き、飛び退る。 今のは、ルイズの爆発魔法だ。しかしなぜ、この雲の中『遍在』の位置がわかったんだ? 何が起こっているというのか。まったく説明がつかない。 一方、遍在に向けて魔法を放ったルイズも困惑していた。なにせ、自分の意志でなしに勝手に身体が動き、呪文を唱えたのだ。 (ルイズ、聞こえる?ルイズ) ルイズの頭の中で、声が響いた。 「ティトォ……、ティトォなの?」 それは果たして、ティトォの声だった。魔法の炎を通じて、ルイズの頭に直接言葉を伝えているのだ。 (目をつむって、ルイズ) 「は?」 (どうせ視界は閉ざされてるんだ。ぼくが炎を操ってきみを導くから、きみは炎の流れにそって動いてくれ) 「目をつむるって……、ええ、わかったわ」 ティトォの声には自信が宿っていた。その言葉を信じ、ルイズは固く目を閉じる。 ワルドは困惑していた。 「偶然の偶然だ……、でなければ説明がつかない」 そう呟くと、今度は2体の遍在を、一度にルイズに襲いかからせた。 「右方向から一人、杖に風の刃を形成しつつ突撃……、さらに背後でもう一人が左方向に6歩分移動、呪文を唱える」 ティトォはなにごとかぶつぶつと呟くと、炎を操りルイズの身体を動かした。 ルイズは杖を振るう遍在の一撃をかわし、背後で呪文を唱えるもう一体の遍在に爆発を叩き込み、消滅させた。 「ワルド、お前の戦闘行動は……」 ティトォが呟いた。 「すべて把握した」 ルイズはそのままぎゅるっと身をひねり、突っ込んできた遍在の鼻っ柱に、強烈なパンチを叩き込む。 魔法の炎で強化されたルイズの拳は、いともたやすく遍在の鼻を叩き折った。 遍在が痛みによろめくと、すぐさま魔法を叩き込む。至近距離の爆発を食らい、遍在は消滅した。 「ばかな……!」 ワルドが驚愕の声を上げる。 さらにルイズはこちらを振り向きもせず、魔法を放った。 ワルドの横に立っていた最後の遍在が爆発で吹き飛ばされる。 「ばかな!」 「子爵、あなたはぼくに、手の内を見せすぎた」 ティトォが誰にともなく呟く。 「この旅で、そしてこの戦いで、あなたが発した言葉の一言一句。あなたが見せた表情。あなたの動き。『すべて記憶している』」 記憶。 記録。 展開。 判断。 発想。 発祥。 計算。 創造。 「心の底からの、本気の言葉!本気の表情は!それはお前の真実のピース!断片を知ることで、お前のすべてを『透し見る』!これが、魔法と同じく100年の間に培われたぼくの能力、『仙里算総眼図』!」 ワルドは焦り、魔法をティトォに打ち込んだ。その魔法を、すかさずルイズが撃ち落とす。 身を翻し、ルイズに無数の風の刃を放ったが、撃ち落とすまでもなく、すべて避けられた。 「見えているんじゃない、読まれているんだ……、行動が……?思考が……?」 ワルドは狼狽し、ティトォを見る。 視界の効かないはずの雲の中で、ティトォははっきりとワルドの方を向いていた。 どくん、とワルドの心臓が跳ねる。 まずい、視界を奪った意味がない……! 悔しいが、ここは一旦引いて…… ワルドが後じさると、背後からルイズが飛びかかった。炎を纏った拳を、ワルドに叩き付ける。 「げふ!」 振り向きざま顔に一撃をくらい、ワルドはよろめいた。 ルイズの拳を受けたワルドの頬から、めらめらと白い炎が燃え上がった。ルイズの纏う魔法の炎が、ワルドに燃えうつったのだ。 炎はまたたく間にワルドの全身に燃え広がる。 ワルドはルイズから飛び退りながら、いぶかしんだ。 なぜ、回復魔法をぼくの身体に燃え移らせた……? ワルドの背筋に、ぞくりと悪寒が走る。まずい!と思った時には、もはや手遅れであった。 「マテリアル・パズル分解せよ!炎に、戻れッ!」 ティトォの叫びとともに、癒しの炎はその力を失い、すべてを焼きつくす業火となった。 「ぐあああああ!」 全身から炎を吹き出し、ワルドは悶絶した。炎はあっという間にワルドの全身を焼き、ぶすぶすと煙を上げた。 ワルドは口からもわっと煙を吐くと、どう、と倒れ込んだ。衝撃で取り落とした杖がカラカラと音を立てて床を転がり、礼拝堂を覆っていた眠りの雲が、さあっと晴れていった。 炎を纏ったルイズと、ティトォ、黒こげのワルド、そしてティトォの足下に横たわるウェールズの姿が現れる。 ウェールズの身体からは、すっかり傷が消え失せ、その顔には血色が戻っていた。 ティトォは、拳で胸を軽く叩くと、宣言した。 「我が勝利、魂と共に」 前ページ次ページ虚無のパズル
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前ページ次ページ重攻の使い魔 第5話 『巨人達の戦場』 赤い月の輝きによって照らされる庭園。その中を幼いルイズは必死で走り抜け、自分を追いかけてくる者達から身を隠すために植え込みの中へと逃げ込む。 「ルイズ、どこに行ったの!? まだお説教は終わっていませんよ! 早く出てきなさい、ルイズ!」 母親の怒鳴り声が庭に響く。ルイズは母親の声を聞いて植え込みの中で身を竦ませる。なぜ自分ばかりが怒られるのだろう。二人の姉はいつも褒められて、怒られることなどないのに。ルイズが縮こまっていると、植え込みの隙間から近付いてくる二組の足を見つけた。どうやら使用人らしく、世間話が聞こえてくる。 「ルイズお嬢様は難儀ですねぇ……」 「全くだわ。エレオノールお嬢様とカトレアお嬢様はあんなにも魔法がおできになるというのに、ルイズお嬢様ときたらフライの一つも使えないんだから。おまけにいつもこうやって逃げ出して……。本当に手間ばかりかけさせて」 すぐ近くにルイズが潜んでいるとは思ってもいない使用人達の会話を聞いてルイズは悲しくなった。この者達もやはり自分は出来損ないだと思っているのだ。みんな、自分が会う者はみんな自分の敵になる。母親、エレオノール、そして平民の使用人達までも。ルイズの幼い精神では、己の感じる悔しさや悲しさに上手く説明を付けることは出来なかった。 使用人達はルイズの隠れている植え込みを掻き分けて探し始める。このままここにいたら見つかってしまう。そして怒り猛っている母親の元に連れ戻されてしまうに違いない。そんなことは嫌だとルイズはまだ見付からぬうちに植え込みから逃げ出した。逃げ出したルイズが向かったのは、庭師以外が立ち寄ることは余り無い、中庭にある静かな池だった。勤勉な庭師によって常に手入れされている池の周囲には季節の花々が咲き乱れ、石造りのアーチとベンチには悩みなど持っていなさそうな小鳥達が集っている。 その池のほとりに一艘の小船が浮いていた。かつては舟遊びを楽しむために使用されていたが、二人の姉は立派に成長し、父親は近隣貴族との付き合いと趣味の狩猟に精を出すようになり、母親は娘達の教育と嫁ぎ先以外に目が入らなくなっている。結局、現在この池と小船を気にしているのはルイズと庭師の老人だけであった。その庭師も、昨日ここを手入れしたばかりであり、今日は別の場所の手入れをしているはずであった。誰も立ち寄らない静かな池に浮かぶ小船の中でルイズは丸くなって隠れていた。あらかじめ用意していた毛布にくるまり暖を取る。しばらくしゃっくりを上げながら泣いていたが、そのうち泣き疲れてルイズは次第に夢の世界へと旅立っていった。 老人が玄関前の植え込みの手入れをしている時、ルイズの母親でありヴァリエール公爵婦人であるカリーヌが苛立ちを顔に貼り付けながら歩み寄ってきた。それに気付いた老人は鋏を地面に置き、失礼のないようカリーヌが口を開くのを待った。老人は先程から使用人達にも何度か声を掛けられおり、おそらくカリーヌも同じ要件だろうと予想していた。 「リットー、ルイズを見かけなかったかしら。あの子、また逃げ出したのよ」 「はあ、誠に申し訳ないのですが、わたくしはルイズお嬢様は見かけておりません。朝からここの手入れをしておりましたが、お嬢様らしき人影はありませんでした」 予想通りの質問に、リットーは決まりきった返答をする。そのリットーの態度に何か感じる所があったのか、カリーヌは続けて質問する。 「よもやあの子を匿っている、なんてことはないでしょうね?」 「まさか! カリーヌ様に虚言を吐くなどという恐れ多いことなど出来ようもありません。ただわたくし、最近また一段と目が悪くなりまして、もしかしたらいたはずのお嬢様に気付かなかったのかもしれません。それについてのお叱りならば謹んでお受けいたします」 カリーヌはリットーの頭からつま先まで眺め、ふうと溜息をついた。 「疑って悪かったわね。とにかくあの子を見かけたら知らせて頂戴」 「承知いたしました」 そう言うとカリーヌはまた同じように肩で風を切りながら立ち去っていった。カリーヌの後姿を眺めながら、リットーはルイズの隠れているだろう場所を思い浮かべる。おそらくルイズは中庭の池に浮かぶ小船の中に隠れているのだろう。リットーはルイズがカリーヌに叱られた時、いつもそこに隠れていることを知っていた。 ルイズは誰も知らない自分だけの世界だと思っていたのだが、所詮は子供のすることであった。中庭に人影がないのは事実であったが、保守作業を行っているリットーにはルイズが中庭でしばしば遊び、また小船を隠れ家にしていることは明白だった。保守作業の中には小船の整備も含まれており、いざ作業をしようとした時に毛布が持ち込まれているのを見れば誰でも気付くというものだ。 屋敷にいるものは皆、ルイズが母親から頻繁に叱られていることを知っている。だが叱られる度に小船に隠れて泣いているのを知っているのはリットーだけだった。余りに不憫なルイズの姿に、リットーは今回のように叱られている最中に逃げ出した時は黙って知らぬ振りをするようにしていた。小船の中で少しでも気が晴れるのならそれでいい。 「お嬢様もお可哀相になぁ……」 そう呟くと、リットーは再び植え込みの手入れを始めた。 赤く赤く燃え上がる大地、夢の中のルイズは力なくへたり込んでいた。いつもあるはずのヴァリエール家の屋敷は見渡す限りどこにも無く、あるのは恐ろしく巨大なゴーレムの残骸だけだった。奇妙に体を捻らせ、大地に倒れ伏す巨人の目が幼いルイズを凝視している。その虚無を湛えた目に、ルイズは震え上がってしまう。 「お母様、お父様ぁ! どこにいるのー!? エレオノール姉様ぁ、カトレア姉様ぁ、怖いよぅ!」 ルイズはそう叫ぶも、答える声はない。響くのは炎の上がる音と乾いた大地を駆け抜ける砂嵐の音だけだった。ここには命といえるものは何も無い。理由などなかったが、ルイズはただそう確信した。自分は本当に一人ぼっち。そう考えただけでルイズの瞳からはぼろぼろと大粒の涙が零れ落ちる。 「やだぁっ、おうちに帰りたいよぅ!」 ルイズが泣き喚いていると、それまでの炎と風の音に耳をつんざくような甲高い音が混じり始める。しばらくすると遠くに影が現れる。一つ二つと影は数を増やし、次第にルイズが座り込んでいる場所へと近付いてくる。そしてまた、反対方向からも同じように複数の影が現れる。影は近付くにつれ巨大になり、次の瞬間ルイズの目の前で15メイルはあるかと思われる鋼鉄の巨人が激突した。 「きゃあぁぁっ!!」 激突と同時に周囲から巨大な爆煙があがる。大地は削れ大量の砂埃が舞い上がる。小さなルイズの体もまた枯葉のように吹き飛ばされ、25メイルほどの距離を置いてきりもみしながら大地に叩きつけられた。ルイズが呻きながら顔を上げると、すぐ傍で50は下らない数の巨人が光の剣や炎の出る棍棒を手に戦いの狂宴を演じていた。ある巨人が敵を切り倒すと、その巨人はまた別の巨人が振り下ろした輝く棍棒で叩き潰される。 その時、上半身を切り飛ばされた巨人がルイズの2メイルほど隣に吹き飛ばされてきた。ルイズは己に向かってくる巨人から目を離すことも、逃げ出すこともできなかった。完全に腰が抜けてしまい、もはや這いずることすらできない。 「もうやだぁ……。お父様……お母様……、姉様ぁ……助けてよう」 喉がかすれ、ルイズは叫ぶこともできない。ただただぐすぐすと泣きながらここにはいない家族に助けを求める以外にルイズに選択肢は無かった。そしてその選択肢も、全く意味の無いものでしかない。 ある時、一体の巨人がすすり泣くルイズを目に留めた。ルイズが視線を感じて顔を上げると、光の棍棒を腕に取り付けた巨人が光り輝く瞳を向けていた。その巨人は軽く跳躍すると、ルイズのまさに眼前へと砂埃を巻き上げながら着地した。ルイズは自分に向けられる明確な殺意に身を震わせる。巨人が腕を振り上げると、ルイズは思わず目を瞑った。次の瞬間には恐ろしい速度で振り下ろされ、自分はあっけなく死ぬのだ。誰にも歓迎されない自分。短い人生が走馬灯のように流れ、もう諦めたその時、けたたましい音が響き渡った。ルイズがそっと目を開けると今しがた自分を殺そうとしていた巨人はずっと遠くに吹き飛ばされ、体から赤い炎を吹き出していた。背後から ずしんずしんと足音が聞こえ、ルイズが振り返るとそこには真紅の鎧を纏った巨人が立っていた。 「ら、いでん……?」 ルイズは思わずそう呟く。ライデンとは何か、何故自分はそのような言葉を発したのか。なにもかもがルイズの理解の範疇を超えていた。 巨人はルイズを殺そうとするでもなく、静かにルイズを巨大な手のひらに乗せると、甲高い音を上げて後退し始める。それまで大地を赤く染め上げていた戦火は徐々に鎮まりつつあり、ルイズは巨人の手のひらから同じように後退していく巨人達を呆然と眺めていた。 魔法学院自室で一晩中うなされていたルイズは目を開くと、がばりと勢いよく身を起こした。 「はぁっ、はぁっ……はぁ……」 ルイズは起き上がると同時にごくりと唾を飲み込んだ。寝巻きが汗でぐっしょりと濡れている。何かとてつもなく恐ろしい夢を見ていた気がする。ルイズはしばらく深呼吸を繰り返し、何とか呼吸を落ち着かせた。丁度いい時間に起きれたことは良いのだが、なにぶん目覚めが最悪だった。起きた瞬間に夢の内容のほとんどを忘れてしまったが、今の自分の姿を見る限りろくでもない夢だったのだろう。 (何か懐かしい夢を見たような気もするけど……、一体どんな夢を見たのかしら。思い出せない) とにかく体に張り付いて気持ち悪いことこの上ない寝巻きを脱いで体を拭かなければならない。つい先日の学院宝物庫のフーケ襲撃で精神が参っているのかもしれない。弱音を吐くまいと生きてきたルイズであったが、このような突発的かつ衝撃的な事態になると心の弱さが露呈してしまうのか、とルイズは溜息をつく。とはいえ、今回の事件では生徒どころか多くの教師もうろたえきっていた以上、ルイズの嘆きは必要以上に自分を卑下するものだった。 そそくさと体を拭き、普段着に着替え終えたルイズはいつも通り洗濯物を籠に放り込み、朝食を取るため食堂へと向かう。 「さ、行くわよライデン」 何気なくルイズは己の使い魔をそう呼んだ。そして自分が言った言葉をルイズは自覚していなかった。 朝食を終え、ルイズは他の生徒よりも一足早く教室に向かう。昨日の夜は予習どころではなかったので、少しでも授業前に予習しておきたかったのだ。 ルイズは教科書を開き、予習に集中しているとキュルケが大勢の取り巻きを引き連れて入ってきた。取り巻きは全て男子生徒であり、みなキュルケを振り向かせようと美辞麗句を並べ立てる。キュルケはそのような男子達を手元に置いておくためのリップサービスは忘れない。キュルケの艶のある唇が動かされる度に男子生徒たちの顔が明るくなる。 そして、取り巻きにちょっとごめんなさいと断ると、キュルケは優雅な足取りでルイズの傍へとやってきた。 「おはようルイズ。朝から勉強に精が出るわね」 「……なんか用? わたしは今予習で忙しいんだけど」 キュルケはあからさまに挑発する姿勢を見せたが、やはりルイズは真剣に取り合おうとはしなかった。キュルケは多少むっとした表情を作ったが、ここ数日間のルイズとのやり取りを思い出し、あまり生産的ではないと判断したのか早々に矛を収める。そして先日の事件について新たに知った話を始める。 実の所キュルケは本気でルイズを嫌っているわけではなかった。どちらかといえば好意に近い感情を持っているのだが、ツェルプストーの血のためか、ついルイズをからかってしまうのだ。そして今まではキュルケのからかいにルイズが必死になって言い返していたのだが、ここ数日は反応も極めて薄いものになり、正直からかう意味が無くなってしまった。意味が無いと判断すれば、キュルケの切り替えは早かった。 「昨日殺された先生ってミスタ・メレガニーだったって話聞いた?」 「ミスタ・メレガニー? あの『鬼火』のメレガニーが殺されたの?」 「そうよ。仮に『鬼火』が油断してたのだとしても、歴戦のメイジをフーケはいとも簡単に殺して宝を盗み出した。恐ろしい話よ。まあもうこのあたりにはいないとは思うけど」 キュルケから聞いた話はまた意外なものだった。今しがた話しに上ったメレガニーの二つ名は『鬼火』。ゆらゆらと空中に浮いた鬼火を自在に操り、確実に標的を倒していくという戦い方をするということで勇名を馳せた者がメレガニーだった。以前は魔法衛士隊に所属し、数々の戦場で恐れられていたメレガニーは、齢50を過ぎた所で後は若い者に任せる、と言って一線を退いた。その後は魔法学院の教師として教鞭を振るっていたのだが。そのような者すら簡単に手玉にとってしまうフーケに、ルイズは軽く身震いしてしまう。 「そんな深刻な顔しなくてもいいじゃない。後は王宮に任せるしかないんだから。わざわざ大したお宝を持ってない生徒をフーケが狙うなんてありえないから安心なさいな」 「……む、そんなこと分かってるわよ」 何かキュルケに年上面をされたような気がしてルイズはむっとした表情になる。そっぽを向いてしまったルイズを見て、キュルケはくすくすと笑った。 「そういえばルイズ、あなたあのゴーレムに名前付けてあげたの? いつまでも名無しじゃ可哀相じゃない?」 「……そうね。ライデンにぴったりな名前が中々思い付かないのよ」 「え? ライデン?」 ルイズがさらりと言った言葉にキュルケは目を丸くする。ぴったりな名前も何も今自分で言ったではないか。しかし当のルイズはそのことに気付いていないらしい。 「何よ、その顔。わたし何か変なこと言った?」 「ルイズ、あなた今あのゴーレムのことをライデンって呼んだじゃない。気付かなかったの?」 キュルケの指摘にルイズはぽかんとした表情を浮かべ、先程の自分の言葉を思い返す。確かにライデン、と言っていた気がする。何故気付かなかったのだろうか。ルイズはつい自分の記憶力を疑ってしまう。しかし自分はどこでライデンという名前を思い付いたのか。無意識のうちに名前を決めていたのか。 思い悩み始めたルイズを見て、キュルケはあまり上手いとはいえないフォローをする。 「まあ、いい名前なんじゃない? 他に思いつかないならライデンでいいと思うけど」 「……そうね。この際ライデンでいっか。うん、そうするわ」 召喚されて一週間以上経ったこの日、ゴーレムは名前を与えられた。ルイズは知る由も無かったが、奇しくもゴーレム本来の名を言い当てていた。 ルイズ達が『疾風』のギトーによる講義を受けていたその時、突然教室の扉が勢いよく開かれた。大きなロールの金髪のかつらをかぶり、レースの飾りや豪奢な刺繍が施されたローブを纏うという珍妙な格好で現れたのはコルベールだった。何やら酷く慌てている様子である。 「ミスタ・コルベール、何事ですか。今は授業中ですよ」 ギトーの非難の込められた言葉にコルベールはこほんと咳払いをすると軽い謝罪の言葉を述べ、生徒全員に聞こえるよう話し始める。 「申し訳ないミスタ・ギトー。ですが急を要する連絡なのです。……えー皆さん、本日はトリステイン魔法学院にとって素晴らしき日となりました。始祖ブリミルの降誕祭に並ぶ、とてもめでたい日です。突然のことですが本日の授業は全て中止となりました」 一体何事かと教室にいる生徒達がひそひそと話し合っている。降って湧いた授業中止の知らせに喜ぶ者も少なからずいた。コルベールの後ろでギトーが何か言いたげな表情を作るが、コルベールは気づかずに話を続ける。 「恐れ多くも先の陛下の忘れ形見であり、我がトリステインがハルケギニアに誇る美しき姫君、アンリエッタ姫殿下が本日ゲルマニアご訪問からのお帰りに、この魔法学院に行幸なされます」 コルベールの口から出た予想外の言葉に教室のざわめきが一層大きくなる。貴族の子弟といえども王族を間近に見ることは稀である。精々パレードの際に平民と同じように遠くから眺めるしかないのだ。運がよければ近くから眺めることもできなくはないが、そのような場所の競争率は非常に激しく、貴族だからといって割り込めるようなものではなかった。そのためか見るからに興奮している者も多く、一瞬にして教室が浮き足立ってしまっていた。そしてそれはギトーにとっても同じであった。 コルベールが静まるよう大声で注意すると、熱狂は少しばかり落ち着いた。 「したがって間違っても粗相があってはいけません。誠に急な話ですが、只今より学院の総力を挙げて歓迎式典の準備を行います。授業の中止はそのためです。生徒諸君は正装して正門に集合した後、整列すること。以上です」 生徒達は緊張した面持ちとなり、神妙に返事をした。生徒達の正確に状況を理解している様子を見て、コルベールはよろしいと重々しく頷いた。そして一際力のこもった口調で告げた。 「昨日、フーケがこの学院を襲うという嘆かわしい事件が起き、我々はミスタ・メレガニーという素晴らしい方を亡くしました。姫殿下は大層悲しんでおられているようです。二度とこのような悲劇を起こさないためにも、再び姫殿下を悲しませるようなことを無くすためにも、我々は姫殿下に弱き姿を見せるわけにはいかないのです。分かりましたか?」 生徒達は一斉にはいと返事をする。コルベールは後はよろしくお願いしますとギトーに言うと、入ってきた時と同じように急いで出て行った。教室に残された生徒達はギトーの指示に従い、姫殿下を迎えるために急いで準備を始める。 ルイズは突然の王女の来訪に幼い頃の記憶を刺激され、郷愁なのか寂しさなのか、自分でもよく分からない思いに囚われていた。 民衆の間を走る馬車の中で、本日13回目の溜息をついている少女がいた。その少女の名はアンリエッタ・ド・トリステイン。ここトリステイン王国の王女であった。すらりとした細く美しい顔、そして薄い青色の瞳には憂いが湛えられている。先程民衆に見せていた笑顔はどこにもなく、ただただ憂鬱な表情を貼り付けていた。傍にいるマザリーニ枢機卿が今後の予定を説明するも、アンリエッタは心ここにあらずといった様子で返事をするでもなく聞き流していた。マザリーニは内心溜息を付くと、いい加減要領を得ないアンリエッタに苦言を呈する。 「殿下、王族たるもの無闇に臣下の前で溜息などつくものではありませぬ。弱き姿を見せぬのもまた王族の勤めなのです。そのような態度ではいらぬ不安を煽ることになりかねませんぞ」 マザリーニの言葉に、アンリエッタの憂鬱は更に深まっていった。諦観と苛立ちの込められた声で返事をする。 「王家、王族、そして王女……。ただ臣下の言うままにしか動けない者が果たして王族なのでしょうか?」 「……ゲルマニアとの同盟の件ですかな」 「私だって分かっています。あの礼儀知らずの裏切り者達に対抗するためにもゲルマニアとの同盟が必要なことは。それでも、私は……」 アンリエッタの憂鬱は正にそれであった。まだうら若き乙女が、壮年に差し掛かりつつある丸々と太った男と結婚せねばならない。トリステインとゲルマニアの現在までの関係を顧みてもこれ以上の屈辱はなかった。そんなアンリエッタの内心を知ってか知らずか、マザリーニは抑揚の無い低い声で答える。 「それが王族というものです。この小国トリステインを守り、民草を守る、それが王族たる者の義務なのですぞ」 マザリーニの決まりきった回答にアンリエッタはまたしても溜息をついた。自らの手に余ると判断したマザリーニは馬車のカーテンをずらし、馬車に随行する三つの魔法衛士隊の一つ、グリフォン隊の隊長に手招きをした。すると羽帽子をかぶり長い髭を生やした、精悍な顔立ちの若い貴族が馬車へと自らのまたがるグリフォンを寄せた。 「お呼びでございますか、猊下」 「ワルド君、陛下のご機嫌がどうにも麗しくない。何かお気晴らしになるものを見つけてきてくれたまえ」 ワルドと呼ばれた貴族はマザリーニに了解の意を伝えると、さっと周囲を見回し、目ざとく街道に咲く花を見つけると、腰に差された杖を引き抜き短く呪文を唱える。小さなつむじ風が発生し、小さな花はいとも簡単に空中へと舞い上がる。ワルドは風を操り、花を手元まで持ってくる。 ワルドは花を手に馬車の窓を叩きマザリーニへ手渡そうとしたが、直接王女が受け取ると伝えられたのでマザリーニに一礼すると馬車の反対側に回った。するすると窓が開かれ、アンリエッタが花を受け取ると左手を差し出した。ワルドは王女の厚意を無碍にするようなことはせず、アンリエッタの手を取ると優雅に口づけをした。 アンリエッタは自らの左手に口付けをする貴族に名を問うた。 「殿下をお守りする魔法衛士隊が一つ、グリフォン隊隊長のワルド子爵でございます」 恭しい態度で答えるワルドの姿に、アンリエッタも相応しい態度で応対する。 「あなたは立派でございますね。まるで貴族の鑑のよう……」 「私は陛下の卑しき下僕に過ぎませぬ」 「ああ、祖父が生きていた頃には、貴族は押しなべてそのような態度を示したというのに……。最近はあなたのような貴族はほんの一握り……。子爵、あなたの忠誠に期待してよいのですか? わたくしが困った時には力を貸していただけますか?」 アンリエッタの深刻な声音に、ワルドは重々しい態度で答える。 「殿下のご要望とあらば、たとえ戦の最中だろうと空の上だろうと、何を置いても即座に駆けつける所存であります」 アンリエッタが優雅に頷くと、ワルドは一礼をして馬車から離れていった。その姿を眺めながらアンリエッタはまたしても溜息をついてしまう。 「なぜわたくしは王族に生まれてしまったのでしょう……。一介の貴族として生まれていればもっと自由な人生を送れたでしょうに……」 「滅多なことを言うものではありませんぞ。私以外の者が聞いていたらどうなさるおつもりですか」 その後もマザリーニの小言が延々と続いたが、アンリエッタの耳にはほとんど入らなかった。ワルドから受け取った小花を弄びながらアンリエッタは幼かった記憶を思い返していた。あの頃は王族だとか身分の違いだとか気にしたことはなかった。親友の少女と毎日走り回り、花を摘み、泥だらけになって遊び回ったものだ。そして何度か取っ組み合って大喧嘩をしたこともあった。しかしいまや自らを取り囲むのは卑しい心を持った貴族達だ。毎日が色褪せてしまい、しかも心に重くのしかかる悩みを告白できる相手はいない。それはマザリーニとて例外ではなかった。 ワルドにこの胸の内の悩みを相談してみようか。先程ワルドが見せた曇りのない忠誠の誓いと、誉あるグリフォン隊隊長という肩書きが、アンリエッタの心を揺さぶる。聡明なワルドならば自身の悩みに答えをくれるかもしれない。学院に向かう馬車に揺られながらアンリエッタの思考は深みにはまっていく。 そういえばかつての親友もこの学院に通っているのではないだろうか。もしかしたら会えるかもしれない。昔のような関係を持つことは最早不可能だろうが、旧友に会えるかもしれないと思うと、アンリエッタの心は少しだけ軽くなった。 王女の学院訪問はつつがなく行われたが、ルイズの気分は更に複雑なものになっていた。優雅に手を振りながら笑顔を見せる王女と、その傍につき従うグリフォン隊隊長の子爵を見てしまったからだ。自らの過去と多かれ少なかれ結び付く者達。ここのところルイズの心が休まる時は少なく、そこに追い討ちをかけるかのように王女訪問とくる。ただただ早く部屋に戻り、シエスタと紅茶を飲みたいとルイズは考えていた。ルイズはどうでもいい話をすることで、心の重圧から逃れたかった。 キュルケがルイズに話しかけるも、ぼんやりとして話を聞いているのかいないのかよく分からず、やれやれと肩をすくめると、キュルケはしばらく放っておいた方がよさそうだと、ルイズに話し掛けるのをやめた。 「はぁ、もう疲れたわ……。昨日はあんな事件が起きて、今日は王女が訪問して……」 「お疲れ様です、ミス・ヴァリエール。私たちも今日はてんてこ舞いでした」 その日の夜、ルイズとシエスタはこれまで通り紅茶を飲みながら雑談していた。王女は綺麗だった、魔法衛士隊はやはり格好いい。どうしても話題は今日のことになってしまう。ルイズにしてもシエスタにしても、フーケを話題にする気には到底ならなかったのだ。 一息ついて、シエスタがそろそろ帰ります、と言ったその時、扉が規則正しく叩かれた。始めに長く2回、続いて短く3回。その叩き方をルイズは覚えていた。はっとした表情となり、急いで扉を開けるとそこには真っ黒なローブを頭から被った少女が立っていた。少女はさっと周りを見渡すと、そそくさと部屋の中に入ってきた。 「ミス・ヴァリエール、どちら様ですか?」 突然の来訪者を不思議に思ったシエスタがルイズに尋ねる。後ろ手に扉を閉めた少女は、杖を取り出すと短く呪文を唱えた。すると光の粉が部屋中を舞った。 フードに隠れ、少女の顔を窺うことはできなかったが、ルイズにはこの少女が何者なのか分かっていた。 「どこで聞き耳を立てられているか分かりませんからね」 少女はそう言うと、体を覆うローブを脱いだ。現れた顔を見て、ルイズはやはりと思うと同時に何故この人がここにいるのかという疑問と驚きが同時にやってきた。ルイズの部屋を訪問した少女は、昼間学院へ訪れたアンリエッタ王女その人であったのだ。 「ひ、姫殿下!」 ルイズが慌ててアンリエッタの前に膝をつく。それまで想像の埒外の展開に呆然と椅子に座ったままだったシエスタは、真っ青になると、椅子から転げ落ちるように頭を伏せた。貴族どころではなく王族。その御前で顔を上げるなど恐れ多いも甚だしい。シエスタは床に額を押し付けんばかりであった。 アンリエッタは涼しげな表情で二人を見渡すと、透き通った心地良い声で告げた。 「お久し振りね、ルイズ・フランソワーズ」 前ページ次ページ重攻の使い魔